休止中

次のウェブを参照



CLIL SAITAMA(旧名称)

Current Practices and Future Perspectives of Content and Language Integrated Learning (CLIL) in Japan

CLILは、次第に注目を集めています。本サイトは、笹島茂がかかわるCLILの実践やつぶやきを集めたものです。参考にしてください。

CLILアンケート調査


にご協力ください。

2014年9月14日日曜日

神田外語大学児童英語教育センターでの発表

神田外語大学児童英語教育センターで発表しました。

第5回 小学校英語教育シンポジウム「教科として英語が目指す目標と指導のあり方」

という会で、私は、「小学校におけるCLILの可能性 ー英語学習を支援する教師の『こころ』」という題で発表しました。なごやかに話ができて楽しく参加者の方とやりとりができました。田中先生、河合先生、本多先生、ありがとうございました。もう一つの講演の伏野先生の「共同学習(cooperative learning)」ともうまく融合できそうだと感じました。

小学校では、英語が教科になるということがほぼ決まりとなるようです。関係の方々には重要な課題となっています。私は、ちょっと違う立場からこの点には大きな関心を示しています。が、小学校の現場の先生がたとはちょっと違うのかなという気がしました。この点はいい勉強になりました。

逆に、若い方から「CLILにすごく興味がある」と言われたり、あるいは、「実際に小学校で英語に携わっている方から、いままでもCLILやっていました。これからもっとやりたい」と言われたので、かなり軽い足取りで家路に着きました。

たくさん、話す内容を容易したのですが、時間もなく、大切な点はうまく説明できませんでしたが、いつもこんなものです。思ったことの半分も伝えられないし、誤解もされ続けてしまいます。伝えるということはむずかしいし、人は、考えていることはみな違うし、生きてきた過程が違うし、互いの背景も違うし、理解もむずかしい、と実感します。

そういう話は、私の最も興味のある「言語教師認知」です。私は、それを「言語教師のこころ(language teacher kokoro)」として考えていくことを決めました。その話は残念ながら今回もあまり話せませんでした。シンポジウムの趣旨とも大きく異なり、当然と言えば当然です。

さて、本題ですが、本日の発表で、小学校の英語の教科化に向けてCLILは大いに役に立つと改めて認識しました。ただ課題はあります。その課題に応えられればおそらく日本の小学校英語教育は世界に対しても大きく影響を与える英語教育ができると思いました。

一つは、早期外国語教育に対するこれまでの言語教育の知見に新しいアプローチを提供できる可能性があるということです。

ヨーロッパではCEFRを背景とした複言語主義(plurilingualism)と自律学習(learner autonomy)と文化間理解能力(intercultural communicative competence:ICC)の推進のために、早期外国語(英語)教育は主流です。そこに、CLILという政策的教育が導入されました。20年を経て、大きく広がりを見せています。しかし、参加者の方が指摘しているように、ヨーロッパのようには日本は進みません。それは当然です。

アジアでも早期英語教育は主流です。アジア的やり方です。CLILはそこではうまく進んでいないのが現状でしょう。当たり前と言えば当たり前です。CLILはヨーロッパの政策です。アジアではむずかしい。このような議論はあまり意味がないと考えるので、ここではやめておきますが、それでもCLIL的な考えはアジアでも次第に浸透しています。

そこで、日本の状況(context)に合った英語教育をCLILの要素を取り入れてカリキュラムを組むことが大切だと考えます。理由は、1英語使用環境、2教員研修、3学校(教育)文化、4日本語と日本文化に対する意識、などを考慮する必要があるからです。それはおそらく新しいCLILとなります。新しいかたちの

「科目内容の学びと関連させながら、英語がその科目内容に関連するところでどのように使われているかを提示しながら、それに関連する基本的な英語知識と技能の学びを支援する」CLIL

を目指したいと、現時点で考えます。

二つには、いわゆる欧米的な言語学習を基盤とした英語教育(TESOL, ELTなど)を背景とした早期英語教育の指導法に対して、日本の教育の伝統を背景とした授業研究によって、教科横断的なあるいは学校教育活動としての日本の小学校教育文化に適した言語教育(ある種のバイリンガルあるいはマルチリンガル)を開発するということです。

うまく説明できませんが、CLILはバイリンガル環境での教育です。「英語で理科や数学などを教える」ということと同義ではありません。4Cを原理として展開するCLILの特徴は「柔軟性」です。英語、理科、国語、社会、家庭、体育などと分けて考える必要はないかもしれません。英語を教える際に、英語の語彙をいくつおぼえた、文法構造で動詞の概念が分かるようになった、/ l /と/ r /の発音が正しくできるようになった、アルファベットが読めるようになった、書けるようになった、挨拶がいえるようになった、先生の指示が分かるようになった、などの、知識や技能の到達度を評価・測定し、判断する(assessment)は、それほど厳密にする必要があるかどうか。私たちは母語である日本語に対して、それほど厳密にそうしているだろうか?実際に英語が使えるようになった人は、学校の教師の評定やテストのスコアで、自分は英語が使えるようになったと実感するだろうか?あるいは、算数で足し算や引き算ができるようになるということは、日本語の理解も関連して、理解しているということで、それを厳密に分けて評価することは、果たして意味があるのかどうか?ことばは思考の対象でもあり道具でもあります。言語と思考、言語と知識、言語と技能を分けて考えることはかなりむずかしいでしょう。日本のように独特の小学校文化が強い場所では、それを活かして、英語教育を推進することが大切です。それも英語だけを分けて、アメリカなどの英語圏の文化に追随する英語教育はやはり持続的にはうまく行かないでしょう。それを、小学校の担任の先生は「よし」としないと思います。教育はもっと広い意味で考えなければいけないと考えるからです。

そこで、最低限の到達目標を設定(たとえば、CEFRにおけるA1)として、

日本の小学校教育文化に適したCLIL的英語教育の開発

を小学校の先生自身が開発することが、私は大切だと思います。それも、強制ではなく、それぞれの小学校の先生方に英語を使う体験型の研修の機会を与え、英語コミュニケーション能力を高め、英語が実際どのように様々な国で使われているのか理解してもらい、それぞれの教育環境で工夫してもらう。

シンポジウムを終えて、そんなことを考えました。

雑文で申し訳ありませんが、たいへん意義深いシンポジウムでした。ありがとうございます。








0 件のコメント:

コメントを投稿