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CLIL SAITAMA(旧名称)

Current Practices and Future Perspectives of Content and Language Integrated Learning (CLIL) in Japan

CLILは、次第に注目を集めています。本サイトは、笹島茂がかかわるCLILの実践やつぶやきを集めたものです。参考にしてください。

CLILアンケート調査


にご協力ください。

2013年7月19日金曜日

三重大学FDセミナー

三重大学国際交流センターおよび高等教育創造開発センター主催のFDセミナーに招かれて参加した。私の話の資料は、本ブログから興味ある方はダウンロードしていただきたい。

私の話というよりは、後半に行われた3つの模擬授業がとても中身があり、興味深く拝見させていただいた。多くの大学は、グローバル人材の育成ということもあり、「英語で授業をする」という課題に直面しているようだ。その課題の一環としてCLILに興味を持っていただき、実践しようとされている。

それぞれの専門の先生方の努力が肌で伝わる内容でとても勉強になった。ここではそのことについて書かせてもらう。

英語を使って仕事をしている人はたくさんいる。専門の先生方も英語はある意味で必須なのだと改めて感じた。実は、これが最も大切だと思った。それぞれの分野で英語は必要であり、それは、私のように高校教育の中で英語を教えていた人間とはちょっと違うスタンスだということを強く感じた。それとともに、専門の分野で英語を使っている人が、学生に授業として展開することの難しさも感じた。CLILはそれを補ってくれる学習のはずだが、いかんせん日本という状況の中でどうするかがいまだに課題だ。模擬授業はおおいにそのヒントを与えてくれた。

まず、一つ目の模擬授業は、医学部の内容である。私は、模擬授業を見ながら、この内容は学生は食いつくと思った。多少むずかしそうな語彙が使われているが、たぶん医学生にとってはたいへん興味深い内容で、おそらく疑問も持つ。そこで、ポイントはどう授業の中で学生が英語で活動するかにある。CLILの原形を見たような気がする。いまの学生は、単に講義を聞いただけではおそらく満足しない。私だったらどうするかを考えた。たぶん、私だったら、もちろん私は医者ではないのでほとんど内容は分からない。しかし、それを基盤として、学生に私に説明させるようなタスクにするだろうと考えた。そのためには、thromobosisについて彼らは自分で資料を調べ、考えるはずである。可能であれば、その話題でdiscussionもできるだろう。さらには、ポスターやパンフレットも作成できる。ブログも可能だ。学生が疑問を持てば、自分で解決する。教師の役割は、英語という言語に関するサポートと調べるためのアドバイスである。

医学の知識を持っている教師のアプローチは違うのではないだろうか。おそらく内容に関するやりとりが英語でできるはずだ。先生が質問を出す。それに学生が答える。それだけはなく、学生に質問させて、先生が答えるという活動も可能である。専門の資料を用意し、それに補足することも可能であろう。その際には、発音や文法などを気にするのではなく、意味に集中することだと思う。学生は最初はなかなか英語を話せないかもしれないが、「英語を使って」専門の内容を英語で考える場を与えれば、次第に英語を使うようになるのではないか?このような模擬授業を少しずつ展開すれば、学生はきっと満足するはずである。その意味から、英語の教員と専門の教員が連携することは必要かもしれない。

次は、工学系の模擬授業だった。Digital Image Processingの導入である。これも工学系の学生にとってはほぼ分かるだろうと思ったし、率直におもしろいと思った。医学関連の模擬授業とほぼ同様の印象を持ったが、とにかくスライドが工夫されていておもしろい。英語であろうが日本語であろうが学生の興味関心は変わらないように思う。問題は、それが成績や評価につながるという際に、英語が苦手な学生は英語に対するアレルギーを持つ可能性があるかもしれないということだ。

フィンランドで、英語が苦手な工学系学生の英語補習授業を見たことがある。さすがフィンランドの教育だと思った。3〜4人の学生相手に英語の先生が、工学系の内容を話題に英語で授業をしていた。ときどきフィンランド語を入れながらであるが、学生は熱心に英語力をあげようと参加していたのが印象的であった。問題は、やはりニーズだ。英語ができないと彼らは仕事がないから必死である。

CLILはその環境を学生に与えるアプローチだと考えている。模擬授業にはその可能性を感じた。無理して英語ばかりにこだわる必要がなく、工学系では英語は必須で、かつ、そのほうが分かりやすい。ポイントは、工学の技術をコミュニケーションするのに英語のほうが役に立つということを、学生に分かってもらうことだろう。模擬授業はそれを十分に伝える内容だったように思う。

さいごは、言語学を英語で教えるという、私の仕事にも共通する課題である。実はこれが最もむずかしいと勝手に考えていた。言語について英語で教えると言った場合、言語学を勉強している学生を対象とするので、ある程度動機付けがなされていると考える。そこで英語で教えるということはごく当たり前で自然であるが、そこでコミュニケーションを図るためにはどうするかである。日本語と英語の違い、言語の働き、人の認知と言語などなど、おそらく興味を持っている人には興味深い内容となるが、医学や工学のような展開とは違う展開を考えなければいけないだろう。言語学を話題としてどう学習者同士がコミュニケーションを図るか?その話題とコミュニケーションが別の社会的な場面でどう応用できるのか?おそらくそのあたりに言語学をCLILで行うカギがあるのではないかと考えた。「言語を意識する」という活動は重要だと思う。英語でも日本語でも言語に関する意識をしっかりと持てるようにすれば、学習者は自律してことばを学ぶのでないだろうか?何にでも応用可能であろう。

しかし、現時点で私にはこれに対する明確なCLILのイメージができない。言語学の内容と英語を統合する意味がうまく見いだせないからだ。「英語で授業をする」場合にも、文法などは母語で教えることが多い。その方が効率がよいからだ。それでも、この授業は私にとって刺激的でたいへんおもしろかった。

というわけで、まとまりませんが、三重大学でのFDセミナーに講師として参加する機会があり、私のCLIL実践にとってはたいへん有意義な一日でした。どこかで招かれれば、私はどこにでも行きます。

乱筆乱文失礼(あとでまた加筆します)。




2013年6月30日日曜日

古くて新しい教育ーCLIL

6月29日(土)目白大学外国語教育研究会にてCLILの話をした。発表資料はこのブログに置いてあるので興味ある方は見ていただければと思います。今回は、「古くて新しい教育ーCLIL」と題して、CLILの概略的なことを話し、教材について紹介した。

目白大学の言語文化学部の修士課程の学生の人たちと一般の方が聴衆だった。私の話だけではなく、日本語教育を専門とする池田先生の話と、修士課程を終えて人たちの体験談があった。貴重な機会であり、楽しく話させてもらった。

話の中でも触れたが、CLILはプリミティブな教育だと思っている。特にヨーロッパで広がるCLILを日本で実施するということはなおさらである。「プリミティブ」という意味で、「古くて新しい」とCLILに冠をつけた。私自身は、このブログでも何度か触れているが、CLILを研究の対象とするよりも、実践の対象として興味を持っている。ヨーロッパのCLILをそのまま日本で実施しようとも思わないし、CLIL自体にとらわれた授業実践をするつもりもない。実際ヨーロッパで私が見たCLILは様々であり、最初にメソッドがある訳ではないようだ。様々な状況に応じて教師が工夫すればよいのだと思う。こうしなければいけないと考える必要もないだろう。その意味から、CLILはプリミティブと考えている。ぜひ、多くの教師が関心を持って、いままでとは違う「学び」を考えてみてはどうだろうか?そんな趣旨で話をした。

私自身もCLIL的な授業をしている。CLILとは言えないかもしれないが、私自身はけっこうイケテルと思っている。自分の教え方にCLIL的な要素を取り入れている。ぜひ、いろいろな「学び」の場にCLIL的な観点をもって、「何かの知識や技能(content)を、目標とする学習言語を媒介としてコミュニケーション(communication)しながら、考え工夫しながら思考力(cognition)を高め、文化的な面も含めて学びの場(culture, community)をとおして、言語のしくみ(language)を理解しながら、学ぶ」機会を、教師は学習者に提供してほしいと考えている。

私にはカリスマ性もなく、話も決して上手ではない、英語教師としては英語力も専門的な知識もそれほど優れているわけではない。授業も人に見せて、授業の達人と言われることもない。ましてやCLILの達人でもない。CLILの授業の模範を見せることもできない。それでも、『英語教育』の記事にも書いたが、「CLILはおもしろい」と思っている。学習者の反応がある程度あることと、自分の教え方にも合っているからだろう。すべての教師や学習者がCLILをよいと思うことは当然あり得ない。教師は本当に様々で自分の教え方を変えることはほとんどない。それはそれでよいのだが、ちょっと教え方に迷っている人はCLIL的な授業をしてみてはどうかと思う。

今回の研究会に一人の目白大学ではない学生が参加していた。聞くと、CLILに関心があるそうだ。教師も目指しているそうなので、ぜひ研究なり実践なりをしてみたらと話した。若い人が関心を持ってくれるくれることはとてもうれしい。今回の一番の収穫だった。また、ある中学校でCLILを実践しようと計画している話をある人から聞いて、いよいよ中学校でもCLIL的な授業実践が始まると思った。これも収穫だ。後は、大学や大学院でCLILの教員養成講座が始まることだと思った。

本研究会を主宰してくれた鎧屋先生、渡部先生、岡先生はじめ目白大学の先生方に感謝したい。

2013年6月17日月曜日

小学校外国語活動におけるCLIL実践とその展開

6月16日、青山学院大学で開かれた大学英語教育学会(JACET)の関東支部大会で、池田真先生(上智大学)、山野有紀先生(上智大学大学院生)と「小学校外国語活動におけるCLIL実践とその展開」という演題で、シンポジウムを行いました。

明日一番の発表にもかかわらずたくさんの方が参加され、有意義なシンポジウムとなりました。発表スライドは、本ブログに掲載しましたので、興味のある方はダウンロードしてください。

シンポジウムを終えた感想を簡単に述べておきましょう。小学校の外国語活動に関係する人はますます増えていると実感するとともに、たぶん何かを求めている人が多いのではないかと思いました。私自身は直接小学校の英語教育を実践しているわけではありませんが、10年ほど前からずっと興味を持ってアジア、ヨーロッパを中心に、特に教員研修に関心を持って調査しています。その調査からCLILに行き着いています。私の中では、小学校で外国語を指導することは議論の余地のないことで、あまり小学校の英語教育は必要か必要でないかというような議論には参加したくはありません。

子供にとっては、母語、外国語と分けるよりも、単に「ことば」ということで、言い方を換えれば、「コミュニケーション」であり、コミュニケーションをすろとなれば、内容をともないます。そのためには、「考える」ことが必要です。学びという面から考えれば英語を学ぶことは当然ではないでしょうか?CLILにはその要素がすべて入っています。

しかし、私自身CLILにあまりにも肩入れするわけではありません。大切なことは、学習者が満足できる学習の場を教師が提供することですから、方法論にこだわる必要はないと思っています。

そのような点から、このシンポジウムでは、山野先生が実践の報告をしてくれました。進んでいるなと強く感じました。池田先生は、CLILの研修の枠組みを提示し、具体的な内容に触れてくれました。ちょっと時間が足りなかったですが、CLILが小学校の外国語活動に適する一つの有効なアプローチであるということは伝わったと思います。

今後もますます多くの小学校の先生がCLIL的なアプローチに関心を示して、こどもにとって有益な外国語活動を展開してくれることを願ってやみません。

2013年4月28日日曜日

国際教育研究所の話を終えて

4月27日(土)国際教育研究所の会で、CLILの話をさせていただいた。次回は、羽鳥博愛先生が、CLILの話をするそうだ。私はその前座として招かれたのだろう。今年度は、CLILの話がいくつか続くらいしい。たいへんうれしいことだ。特に、羽鳥先生がCLILに関心を持ってくれていることに感激した。「CLILの考えがもっと以前からあったらよかった」と話してくれた。次回の研究会は、私が主催する言語教師認知の研究会と重なり残念ながら参加できないが、きっと羽鳥先生の豊富な知見からCLILに関するよい話があると思う。興味のある方は、ぜひ羽鳥先生の話を聞いてほしい。


日時:2013年5月25日(土) 15:00~17:00
テーマ:「内容言語統合型学習(CLIL)による新しい発想の授業で英語教育改善の方向性を探る」
講師:羽鳥博愛(東京学芸大学名誉教授)
場所:財団法人日本英語検定協会B館1F会議室

さて、私の話だが、発表スライドのPDFは本ブログの資料のところからダウンロードできるので、興味がある人は見ていただきたい。

CLILの話ならばどこへでも行って話をしたいと思っているので、声をかけていただければどこへでも行き、話をしようと決めている。なぜかと言えば、英語や言語に対する教師の「思い込み」を変えるきっかけとしてほしいと思っているからだ。CLILにはそれがあると考える。

今回の話は、CLILの可能性と課題についてである。CLIL は次のような魅力があると話した。

教師も生徒もCLILはおもしろいと感じる
教師が好きな教え方を選べる(生徒に学び方を強制しない)
生徒が目標を見つけやすい
生徒の学習意欲を引き出す
生徒が学び方を考える
達成感がある

しかし、課題もある。

教師が考え方を転換できるか?
教師が英語を使うか?
カリキュラムを工夫できるか?
CLIL教員研修を導入できるか?
教科書はどうするか?
各科目の教師が英語で教えるか?
英語の教師が科目を教えるか?

CLILだけで、日本の言語教育が変わるわけがない。それにはそれなりの背景がある。それでも、CLILは何かこれまでとは違う可能性を秘めていると思う。

教師は、比較的頑固な人が多いような気がする。それだけ教育に熱心だからだろう。信念を持っているほうが教師としては信頼がおける。だから一歩間違うことも多少ある。体罰もその延長線上にあるような気もときどきする。もちろん体罰はいけないことだ。体罰もある環境にいるとそれも必要だという「思い込み」にとらわれてしまう。英語教育も似たようなことがあるかもしれない。

実際、教師は教え方を変えることはあまりしない。「英語は英語で教える」と学習指導要領に書かれて、たとえ、表面的に英語を授業で使うようになったとしても、基本的な「教え方」に関する考え方はあまり変わらない。言い方を換えれば、もし「教え方」をころころと変えられるとしたら、また問題でもある。大切なことは、自分の教え方について考えることで、工夫を加えることだろう。

CLILという指導法(methodology) に関しては、「なるほど」と思う人と、「?」と思う人がいるようだ。それは当然であるし、そうであってほしい。教え方は違って当然である。だから、CLILでは具体的にどのような教え方をするのかと問われることが多いが、私は自分のやり方を勧めないし、本に書いてあるやり方も勧めない。まず自分で考えることだ。

CLILに私が期待することは、学習者にとって望ましい「学び」の機会を教師は演出してほしいということだ。それがひょっとするとCLILとは言えないかもしれないが、そうでなくてもかまわない。CLIL的な考えがあることが大切だ。よく分からないからCLILを最初から排除するのではなく、CLIL的なアプローチを参考にすることはよいと思う。ただそれだけだ。

今日の話の中で、私は私のCLILフレームワークを示した。

何度か提示しているが、あまり反響はない。たぶん私だけが納得しているのだと思うが、私はそれでよいと思っている。これは私の「思い込み(assumptions)」だ。私はこれを普遍化する気もない。私の状況(context)がそれをよしとしている。そう考えると私の「教え方」には筋が通る。

CLILを実践することは、決してむずかしいことではないが、このようなフレームワークを持っていることが大切だと考えている。CLILの表面的な「教え方」だけを理解して、人のまねをして、CLILを演出しても、それは中身のないものとなってしまう危険性がある。たとえば、CLILでは、マインド・マッピングなどを生かして、協同で考えることが大切だとして、グループ活動をする、あるいは、チャートを使って物事を整理する、など。ともすると形だけの活動になってしまうかもしれない。それでは、CLILの本質から離れてしまうだろう。

授業は状況だ。そこで何が起こるか分からない。何が起こるか分からないから、「学び」がおもしろいのだ。

2013年4月16日火曜日

CLIL 2013 Poland

先日(2013年4月6〜8日)、ポーランドのUstronという町で開かれたヨーロッパのCLILの大会に参加しました。

大会というよりもCLILの研修会という色彩の強い集まりで、多くのCLIL研究者や実践者の人と交流できる貴重な機会でした。

ポーランドは一度も行ったことのない国でたいへん興味がありました。EUにはまだ入りきれない経済的にも今一歩の国ですが、英語という言語教育には熱いものを感じていました。今回のCLILの大会も、ポーランドにとっては、その勢いというか、心意気というか、発展する国の意欲の表わす指標なのでしょう。

大会の雰囲気を伝えるビデオがあります。ホテルで三日間開かれました。開会の際の歌は地元の高校生です。


昨年のオランダのUtrechtで開かれた大会と異なり、小規模な集まりで、本当に研修会という内容でした。今回は学校訪問などがなく、ポーランドで実際どのようなCLILが行われているのかは分かりませんでした。英語によるバイリンガル教育はかなり盛んになっているようです。

発表で目立ったのがgeographyを英語で教えるというCLILの実践が多くあった。かなり盛んなのかもしれないが、確証は得られなかった。が、次のような冊子もある。


Teaching Geography through English – a CLIL approach




言語と地理や歴史は、たしかに関連があり、ヨーロッパなどではニーズがあるのだろう。教え方も工夫されていたし、教科書もポーランド語と英語の教科書が内容を同じくして揃えられていた。同時通訳や翻訳に携わる人はヨーロッパではニーズが高い。その基礎となるヨーロッパの地理や歴史は、外国語学習、特に英語では、必要なのだろう。

このCLILの大会の参加者は少なかった。大会に参加しなかった理由はいくつかあるだろうが、私が聞いた範囲では、アカデミックな点に魅力を感じないということが大きな理由らしい。フィンランドから参加者はたった一人だった。

私の発表は、What can help change mindsets in the CLIL classroom? というタイトルで、CLILは教師や学習者の英語学習の考え方を変える可能性があるという趣旨の内容です。CLILになぜ私が興味を持っているのかというきっかけとなる体験から出て来たもので、日本の英語学習者は、ある歴史的「思い込み」から抜けられないと感じている。CLIL はそれを変えてくれるのではないかと思うのです。スライドはダウンロードできるようにしておきます。興味のある人は見てください。

大会が終わり、私は、Ustronの町からローカル線に乗り、Katwiceという大きな町に出た。たいした距離もないのに2時間くらいかかる。列車はきれいな列車と古い列車が混在して走っている。他のヨーロッパの町の人と較べると英語ができない人の割合が多い。それでも上手に話しかけてきた母娘(?)がいた。私を日本人旅行者と知って、宗教がらみの本を売りに来たのだ。買ってもよかったが、なんとなく気が乗らず急いでいたし、背景も分からないので、断った。Katwiceは旅行者も多いからそういう人を狙っているのだろう。これもCLILに通じるのかと思った。つまり、私の頭は、宗教のCLILは必要だろうと考えた次第である。私は、宗教のことはあまり知らないが、学生の頃大学の講義で旧約聖書を読んだことがある。むずかしいなという印象だったが、宗教者にとって言語は重要だ。様々な国の人と交流を持つときは、やはり英語が便利なのだろう。その教育はどうなっているのだろうか?

ポーランドに興味を持ったので、CLILの大会で会った人をたよりにまた訪問しようと思っている。

大会とは関係ないが、埼玉県の高校の先生などを中心に、CLIL Global Issuesという教科書を作成した。まだ試行段階ではあるが、とても中身の濃いよい教科書だと思う。ヨーロッパでもCLILの教科書は多く出版されるようになった。ポイントは、科目内容の教科書に、言語的タスクをどう取り入れるかだ。様々な教科書があってよいので今後の展開が楽しみだ。

2013年1月29日火曜日

CLILの魅力

CLILは以前にも書いたが特別なものではないと思います。魔法のようなアプローチがあると思うのはまちがいです。また、CLILは現在の日本の学校教育ではむずかしいのではないかと考えるは思い込みでしょう。さらには、CLILは次の指導法あるいはアプローチとどう違うのかと考えることはあまり生産的ではないと考えています。

内容重視の指導法
フォーカス・オン・フォーム
イマーション
バイリンガル教育
英語は英語で教える
ESP
イングリッシュ・シャワー
などなど

違いよりも、それぞれの考え方を生かして、より効果的な指導をすればよいのではないでしょうか。

それでもこだわる人がいます。一つ参考にスペインのCLIL事情を述べておきましょう。CLILとイマーションの違いについて、Lasagabaster & Sierrra (2009)は、スペインのCLILの状況を背景として、次のようにその違いを整理しています。

  • CLILはその指導言語を外国語とし、授業という枠組みの中でその言語が使われるが、イマーションは生徒の状況に合わせた言語を使う
  •  CLILの教師はネイティブスピーカーではなく、外国語としての言語を使う
  • CLILをスタートする年齢は、イマーションのように早期でなくてもかまわない
  • CLILの教材はイマーションで使うようにネイティブスピーカーが使う教科書である必要はない
  • CLILの目標は、イマーションが目指すようなネイティブスピーカーの言語能力ではない
  • CLILは、イマーションのように移民のこどもを対象とするものではない
  • CLILは実験的な段階にあることが多い

CLILの最も大きな特徴は、あえて言えば、上記の様々なアプローチがすべて言語に焦点を当てているのに対して、CLILはその名前のとおり、

Content and Language Integrated Learning
科目内容とことばを統合した学習
内容言語統合学習

としている点です。当たり前と言えば当たり前なのですが、CLILというのは、結局シンプルな考えです。日本語にするとなんとなく堅いので、CLIL (クリル)と言っていますが、それが分かりにくさを助長しているのかもしれません。

CLILはmethodologyとして紹介されています。たしかに、CLILには方法論があり、いくつかの指導方法があり、指導技術が必要です。また、大きく3つの目標を設定しています。

内容の学習、ことばの学習、学習スキル

CLIL指導法に関するチェックリストは下記のようになりますが、これらは必ずしもCLILだけのものとは言えません。


多様な視点(multiple focus)
1.        科目内容クラスで外国語学習にアプローチ

2.        外国語クラスで科目内容にアプローチ

3.        いくつかの科目を統合

4.        科目間のテーマやプロジェクトを通して学習をコーディネート

5.        学習プロセスの省察(ふりかえり)を促進

安全で豊かな学習環境
6.        所定の型通りの活動や話題

7.        授業を通じてことばと内容を提示

8.        ことばと内容の両方を試してみることで生徒の自信を築く

9.        教室を学習センターとして使用

10.    オーセンティックな学習教材と環境にアクセス

11.    生徒の学習意識を高める

本物らしさ(authenticity)
12.    生徒に必要なことばの質問をさせる

13.    生徒の興味関心を最大限に引き出す

14.    生徒の学習と生活を常に関連させる

15.    CLILのことば(目標言語)を使う人と交流する機会をつくる

16.    メディアや他の情報源からの最新の教材を使う

意欲的な学習(active learning)
17.    教師より生徒がコミュニケーション

18.    生徒が内容、ことば、学習スキルの成果を示す

19.    生徒が学習成果の到達度を評価する

20.    仲間との共同を好んで行う

21.    生徒同士でことばと内容の意味を考える

22.    教師は進行役に徹する

足場を組む(scaffolding)
23.    生徒の持っている知識、技能、態度、興味、経験を足場とする

24.    生徒の立場に立って情報を再構成する

25.    異なる学習スタイルに対応する

26.    創造的で批判的な思考を培う

27.    生徒に楽をしようとしないで一歩前に出るように促す

協力(co-operation)
28.    CLILの教師とそれぞれの科目の教師との協力で授業を計画する

29.    保護者にもCLILの学習や生徒支援などにかかわってもらう

30.    地域、教育行政、雇用者とかかわる



具体的には、『CLILー新しい発想の授業』を参照してください。しかし、上記のチェックリストにそって授業をしてもうまくいかないでしょう。指導法や技術などに忠実に従う必要はありません。ポイントは、

学ぶ対象が科目内容とことばの両方にあり、それを統合する

ということです。

CLILの魅力は、そのような学習環境を演出するということにあります。




2013年1月22日火曜日

CLILについての懇談会 12月22日実施


昨年末、下記の会を行いました。簡単に報告しておきます。

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CLILについて考える懇談会

日 時:2012年12月22日(土)午後1時~5時
場 所:上智大学 図書館L-821号室
共 催:上智大学国際言語情報研究所 CLIL JAPAN
協 力:JACET 言語教師認知研究会

CLIL (Content and Language Integrated Learning) は、日本でも注目を浴びるようになった学習指導方法である。科目内容と言語を統合する学習のことで、言語指導法から見れば、バイリンガリズム、イマーション、内容重視の言語指導などとほぼ同様のアプローチと言える。CLILはヨーロッパで開発された指導法であり、現在、ヨーロッパの多くの国で実施され、成果をあげている。指導形態や内容は、状況により様々であり、理念も必ずしも一致しているわけではない。日本でも、多くの研究者や教育機関が関心を示し、「CLILとは何か?」「バイリンガル教育とはどう違うのか?」「結局、内容重視の英語教育ではないのか?」など議論が盛んになってきている。そこで、今回、CLILに類似の教育を実践している方、および、CLILに関心を示している方に集まっていただき、日本でのCLILのあり方について懇談会を開催することとした。懇談会の主旨は、CLILの現状を把握し、率直に、自由に、形式張らずに話し合い、日本でCLILをどのように実践することが適切であるかを考えることにある。懇談会の内容は、後日冊子としてまとめて公表する予定である。

司会進行 池田真(上智大学)
趣旨説明 笹島茂(埼玉医科大学)
事例発表 1 埼玉県立和光国際高校(山崎勝、藤澤さとみ)
埼玉県立川越女子高校(佐藤ひな子、鈴木誠)
事例発表 2 千葉県立長生高校(三上正弘)
福岡県立香住丘高校(永末温子、長沼君主(東京外国語大学))
事例発表 3 東海大学付属高輪台高校(関田信生)
埼玉県蓮田市立黒浜西小学校(山野有紀)
日本でのCLILのあり方についての懇談
問題提起 松本茂(立教大学)
まとめ
CLIL JAPAN 立ち上げについて
閉会
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詳細な報告は趣旨説明にあるとおり、きちんとまとめて提示する予定なので、乞うご期待とさせてください。

当日は、過剰な宣伝を避けましたが、たくさんの方が集まり、CLILに対する関心が高いと改めて思いました。たぶん多くの方がCLIL的な実践をされているのだろうと思います。ただ、「CLILとは何なのだろう?」という疑問が相変わらずあると思います。しかし、これはけっこうむずかしい課題です。参加者の期待を裏切るようで申し訳なかったのですが、私から次のように最初に提案させていただきました。

CLILを定義するのはここではやめておきましょう

CLILの定義は大きな課題であることは間違いないのですが、ここではそれをやめて、CLILをどうとらえて、どう実践しているのか、ということを、みなさんで語り合いましょう、ということです。

みなさんのご協力で次につながる懇談ができたように思います。私にとっての大きな収穫は、

CLIL的な英語授業実践は多くの教師と生徒が「おもしろい」と感じているようだ
かなり多くの教師が実践している、あるいは、実践したいと思っているようだ

ということでした。「CLILは可能性がある」と確信しました。

しかし、それとともに、CLIL実践にはたくさんの壁があることも理解しました。簡単に言えば、

現実のカリキュラムの枠組やスタッフではむずかしいのではないか?
具体的にどうすればよいのか?
私が教えたい授業はCLILなのか?
科目の知識がなければ教えられないのではないか?
英語で授業をしても生徒が分からないのではないか?
などなど

結局、元に戻って、

CLILとは何か?

となってしまうかもしれません。

しかし、ちょっと考え方を変えたらどうでしょうか?CLILという指導法をある枠組みのもとに推進することが目的ではありません。生徒により効果的な学習の機会を提供するにはどうしたらよいのか、という観点で考えればよいのではないでしょうか?それがCLILであろうがなかろうがかまいません。私の場合は、CLIL的なことを始めたら学生の反応がよかったということであり、同僚もおもしろいと考えたということです。多少の問題はありますが、実際の授業のやり方はどうかという問題はありますが、考え方を変えるとちょっと授業が変わります。

歴史的に言えば、岡倉由三郎の『英語教育』(1911)から始まる教養か実用かという議論があります。いまだに結論が出ていません。また、訳読法、オーラルメソッド、オーラルアプローチ、コミュニカティブアプローチなどなど、多くの指導法があります。日本のコミュニケーションを重視した指導法は、必ずしも欧米のアプローチとは異なります。「英語で授業をすること」と言っても、その意味は適当に解釈されます。高校の新しい教科書「コミュニケーション」も、教師の心持ちが変わらないかぎり変わらないでしょう。

CLILに関して研究する場合は別ですが、実践する場合には、それほどCLILという指導理念に限定して行う必要はないと考えています。

私は、言語教師認知(language teacher cognition)ということを研究しています。言語を教師の教えることに対する信念(ビリーフ)や知識を探求することです。その研究を通じて、日本の英語の教師にはある思い込みがある可能性があると考えだしました。それを変えるきっかけとなるのがCLILではないかと思っています。

さて、話が横に逸れました。戻りましょう。懇談会では、高校の実践報告が多く、高校ではCLILは可能性があると思いました。小学校も外国語活動の枠で行けると思いました。当日参加していただいた方から英会話学校などでも有効であると思いました。大学はもちろんのことですが、今後、CLIL的な英語教育は進むと実感しました。当日お忙しい中参加していただいた文部科学省初等中等教育局国際教育課からも前向きなコメントをいただきました。課題は、中学校でどのようにCLILを推進するかです。

松本茂先生から、「CLILはコミュニケーションという関係性に変化をもたらす可能性がある」という趣旨の提言をいただきました。私もそう思います。

さいごに、池田先生が、CLIL JAPAN を立ち上げました。上智大学を中心に大きな動きとなることを期待します。CLIL SAITAMA は細々とやります。






2013年1月21日月曜日

CLILの事例3(イタリア)


確かなことはわかりませんが、イタリアの英語教育自体あまり注目されることはないようです。ヨーロッパ全体からすればイタリア人は相対的に英語は得意ではないし、フランス人同様自分たちのことばに誇りを持ち、相手がイタリア語を話すことを望んでいるようです。実際、個人的な経験では、たしかに英語を話す人はそれほど多くないように思います。また、小学校から英語は教えられていますが、学校での英語授業も必ずしもコミュニケーション重視の指導ではなく、文法などを中心とした英語指導も多いようですが、日本と比べると、英語はやはり実践的に教えられる傾向にあります。

CLILに限らず、普通の英語の授業も見てきましたが、英語で授業をする(英語で授業をすればいいという訳ではありませんが)教師は、中等教育には多いと思います。生徒もそれほど英語が話せる訳ではないようですが、意識を持っている生徒はかなり話せるようになっています。私が出会った生徒は様々でした。

CLILに関しては、早期の段階で取り入れている国が多いにもかかわらず、イタリアでは政策的にはそのようにはなっていません。CEFRは徐々に浸透し、ELPも取り入れられていますが、小学校では一部の学校や教師によってCLILは推進されていますが、多くの小学校ではそうはなっていません。小学校の先生に英語の研修を実施したりしていますが、私が見た小学校の先生を対象とする英語研修の様子を見ると、日本の小学校の外国語活動の導入の頃と似たり寄ったりで、たいへんそうでした。実際に小学校の英語は、ある程度英語ができる人によって教えられているようです。CLILが小学校などで普及していない理由はその点にもあるように思います。

私がイタリアを訪れ、学校をはじめて訪問したのは2009年でミラノの学校です。インターナショナルスクール、普通の高校、中学校、小学校で授業を見ました。その後、何度か訪れるようになって、授業をいくつか見ましたが、実は、CLILという授業はそれほどたくさん見ている訳ではありません。CLILはごく一部の熱心な先生たちによって、プロジェクトとして五月雨式に行われていました。CLILに取り組んでいる教師の人たちと会い、実践の様子や教材などを見せてもらいました。また、CLILではない授業であっても、CLILのことを知っていて、CLIL的なアプローチをしている教師の授業も見せてもらいました。シェイクスピアのリア王の題材を映画を使って教えていました。職業高校の高学年の授業でしたが、生徒の英語力も高く、面白い内容でした。その学校では、同僚の数学の先生がCLILの授業をしていましたが、プロジェクトが終わり、授業は中断していたようです。授業参観はできませんでした。学校としてCLILを取り組むというよりは、個々の関心のある教師がCLILを断片的に取り入れて実施しているというのが現状のようです。

『CLILー新しい発想の授業』の中で扱った学校や先生のことは、ここでは触れないことにしますが、そこでも述べたようにミラノでは、Gisella Langeという人が推進役です。しかし、残念なことに、スペインなどと違い、政策的なサポートが当時はなかったようです。最近になり政策的に後押しがあり、2013年度より、イタリア全体で、高校や職業学校でCLILを実施するとなったようです。正確には理解していませんが、高校の少なくとも1科目は外国語で教えるということがカリキュラムで規定されたようです。どの程度、また、どのように実施されるかは、ご存知の方がいれば教えていただきたいと思っています。

おそらく英語などを中心とした外国語が大学や仕事で必要になっている実態に追随することが社会的に要求され、他のヨーロッパ諸国でのCEFR, ELP, CLILなどの言語教育の実践に刺激され、ようやくスタートしたと言ってよいでしょう。数年前から、そのような動きがあることを聞いていました。今後が楽しみです。しかし、実態として、教員養成や教員研修で科目の教師の外国語(英語)力を高める必要があります。その素地がイタリアでは欠けているので、そう簡単には進まないと思います。現状では、教育政策も教員研修も決して望ましい状況ではなく、英語教育も教員養成も研修もそれほど充実しているわけではないようです。都市部では移民の子供も多く、決してよい教育環境で授業が行われているわけではありません。学校や先生による指導方法にも格差があります。

あるごく普通の小学校と中学校を訪れたことがあります。たいへんよい学校で、英語授業などを参観させてもらいました。また、そこの英語の先生たちとも話すことができました。しかし、小学校や中学校の多くの先生たちは英語があまりできませんでした。当然、生徒もそれほどできませんが、中学校の高学年になれば、けっこうできます。日本ととても似ていますが、中学校ではフランス語も教えられていて、フランスからの言語アシスタントの人がそのときにはいました。フランス語の先生が熱心でフランス語学習のプロジェクトを推進していて、遠足などもフランスに行くようです。考えてみれば、イタリア語とフランス語はラテン系のことばでそれほど難しくないのでしょう。しかし、この学校ではCLILはやっていません。小学校では英語だけで、教科書にそって英語は教えられていました。先生も英語だけで授業をしているわけではありません。

私が訪問した学校は、ミラノとローマだけなので、実態はよく分かりません。しかし、どちらの学校にも、イタリア語を母語としない生徒は多く、文化的にも学校教育がむずかしい面もあるようです。このような状況は、他の多くのヨーロッパの都市と似ていますが、やはりイタリアの文化と伝統は強いものがあります。その点を反映して、イタリア型のCLILは進んでいます。

日本は、イタリアの言語教育状況に似ている面があります。たとえば、クラスが固定化していて、教科の先生が教室に足を運び、教えることが多いようです。そのために、プロジェクターなどの設備がそれほど整備されていないことが多く、スマートボードなどが頻繁に使える教室環境にないようです。また、生徒はそれほど英語や外国語を話す必要性を感じていないことが多く、教師も英語を指導される環境になかった訳です。それでも、2013年度からCLILの導入を決定したということは、日本で言えば、Super Science High Schoolなどの構想と似ているかもしれません。英語は、イタリアの子供たちにとっても必要な言語となっています。大学まで進んだり、仕事をする場合にも、英語は、いや英語だけではなく、その他の言語も重要になっています。その点に注目して、CLILを高校でスタートすることは、おもしろい展開があると考えられます。

私は、日本でも同様の発想で、CLILを取り入れてみてはどうかと考えています。というのは、小学校での外国語活動には、様々に批判があり、ヨーロッパのスペインなどのようにCLILを導入することは、むずかしいと思います。クラスサイズや教員研修でも限界があり、教師の仕事量からもむずかしい可能性があると思っています。現在の「外国語活動」の中でCLIL的なことを取り入れる程度で現状ではよいのではないかと思っています。

それを受けて、中学校でも、CLIL的な英語授業をすることを提案したいと思っています。しかし、あくまでも、ここでは英語の基礎を指導することが大切です。ポイントは、科目内容と少しずつ擦り合せることです。英語の中で音楽的な内容を取り上げていれば、音楽の教科とのコラボを考え、そこで英語がどう使われているのかを、学習者自身に考えさせることが大切だと思っています。教師はそれをサポートするようにして、授業では間接的にアプローチする。そのように考えれば、それほどカリキュラムを圧迫することはないのではないかと考えています。

高校は、CLILが可能です。英語力がある程度身に付いている生徒、たとえば、CEFRでB1程度になっている生徒には、CLILは動機付けになり、大学教育との連携にも効果的です。また、職業(専門)高校などでのアプローチは、CLILは最適です。科目内容を教えている先生とのティームティーチングあるいは科目内容の先生の英語力に応じて、CLIL教員研修を実施し、英語で科目を教えるようにする。

ここでのポイントは、科目内容を教える教師(英語教師も)の教え方に関する考え方を変えることです。英語ができるからと言って英語で教えられるという訳ではありません。CLIL のポイントはそこにあります。