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CLIL SAITAMA(旧名称)

Current Practices and Future Perspectives of Content and Language Integrated Learning (CLIL) in Japan

CLILは、次第に注目を集めています。本サイトは、笹島茂がかかわるCLILの実践やつぶやきを集めたものです。参考にしてください。

CLILアンケート調査


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2012年12月3日月曜日

埼玉医科大学のCLIL(2学期を終えて)

埼玉医科大学では、CLILを実践しています。2学期を終えた感想をまとめておきます。

学生の満足度は少し下がりました。原因ははっきりとは分かりませんが、時期的な問題もあると思います。それとともに、教えている内容がパタン化してきたかもしれません。学生の満足度が多少下がったと言っても、7段階評価で5程度は維持しているので、それほど悲観するものではありません。1学期よりは下がったという程度です。この点については、もう少し分析する必要があります。

教科書は、『CLIL Health Sciences』を使っていますが、それぞれの担当の先生が教科書にそってやっているわけではありません。関連する内容を広げて、それぞれにアレンジして授業を行なっています。

それぞれの先生にはそれぞれの考え方があるので、アプローチの仕方は尊重しています。目標は、

Health Sciencesの内容を話題として学生が英語で理解し考える

という程度のおおざっぱなものです。語彙や知識を教えたり、スキルトレーニングにばかり焦点を当てず、意欲を引き出し、活動を多くしてもらいたいと思っていますが、決して思う通りにはいきません。しかし、シラバスやテストなどを統一してしまうと、授業を活性化することはむずかしいと思います。

環境的な問題もあります。医学部全体のカリキュラムの問題もあります。3学期を終えて、まとめて考えたいと思いますが、一つの反省事項は、先生側が互いに意見交換する時間が十分に取れていないことだと思っています。

CLILは、以前にもこのブログでも述べましたが、特別な指導法というわけではないと考えています。これをある指導パタンに合わせてしまうと内容のないものになります。たとえば、ヨーロッパのCLILでよく行なわれるグループ活動やブレインストーミングなどをそのまま利用しても、うまく行かないことが予想されます。ポスターを作ったり、プレゼンテーションをしたりする際も同様です。

多くの学生は課題に対してできるかぎり簡便な方法で処理しようとします。そこがカギだと思います。課題を行なうことで、「学ぶ」「考える」ということをあまり深く探求しない傾向があります。英語を読んだり聞いたりして情報を得たり、英語でまとめたり、質問したりすることで、さらに理解を深めるなどをすることが、CLILでは必要です。教える側がその点に注意して指導しているかどうかがポイントです。

CLILは、ただ単に内容やことばを教えることではなく、統合することが大切です。統合ということは、内容を学ぶ際にことばに注意し、ことばを指導する際に内容を考慮する必要があります。これには、おそらく様々なアプローチがあり、だれかが行なっている指導法をまねれば、それでよいという訳にはいきません。それぞれの教える側や学ぶ側の特性を生かす必要があります。

当初は、これらのことは教科書を作成して、教科書にそって授業を展開すれば、ある程度うまくいくのではないかと考えましたが、そうもいかないようです。

しかし、このようにCLILを考えながら展開することを楽しいと思えることが、まず第1だと考えます。2学期を終えましたが、それぞれの先生が楽しんでCLILを指導してくれる環境を用意し、もっと多くの学生が意欲をもって英語学習に取り組めるように、さらに考えていきたいと思っています。





2012年11月15日木曜日

台湾ETA-ROCでのCLILの発表


先日、台北で行なわれたETA-ROC (English Teachers' Association in Republic of China)の大会に参加して、プレゼンテーションをしました。発表スライドはこのブログからダウンロードできるので興味ある人は参照していただければと思います。

大会では、CLILと言ってもほとんどの人がまだ知らないようでした。CEFRもそれほと馴染みがなく、アメリカ志向の強い内容が多かったような印象があります。また、全体的に小中高の先生方が修士論文の内容に関連して発表したり、大学の先生とのプロジェクトを発表していたり、出版社と提携した発表が多く、実践的な内容が好評のようでした。

さて、私の発表ですが、埼玉医科大学でのCLILの実践に関する内容で、

Focus on Content – CLIL Can Change EFL teachers’ perceptions

というタイトルです。内容は、教師の考え方を変える可能性について言及しました。


問題は、「英語を教える」ということを教師はどう考えているのかということです。英語の教師は、やはり英語の教師であり、ことばを教えようとします。私もそうです。文法、語彙、発音、4技能など、とかく言語の知識と技能に焦点を当てます。当然でしょう。しかし、ちょっと考えてみていただきたいと思います。学習者はそれほどことばにこだわって学習しているでしょうか?違うのではないでしょうか?英語の教師が勝手にそう思っているのではないでしょうか?などという考えをもとに研究していることを発表しました。

CLILは決して魔法のような指導法ではないと考えています。

前にも述べたとおり特別なものは何もないと思いますが、教師の勝手な思い込みを変える可能性があるといつも思っています。

私は、「言語教師認知論」が専門です。教師のビリーフは相当にしっかりとしたもので、自分が思っているほどに柔軟ではないとこれまでの調査から分かっています。英語教師だけではありません。教師はかなり固い「信念」を持っていることが多いです。それはなかなか変わりません。変えているつもりでも変わっていません。

しかし、「教える」ことの思い込みは変わる可能性があります。CLILは「英語を教える」ということに「科目内容を教える」という観点を入れ込み統合するという学習です。学習者は、英語授業でも基本的にこれを実践しています。英語を習いながら英語の教科書で取り上げられている背景や内容に関心を持ち、教師もそれを意識して、文化や内容を教えていることが多いのです。それが訳読につながる指導となり、それはいまでも途絶えることなく続いています。CLILはそこに一石投ずる可能性があると考えて調査しています。

埼玉医科大学では、英語母語話者にCLILの授業をお願いしています。CLILの専門家とは言い難い訳ですが、同僚はそれなりに興味関心を持って、熱心に指導しています。学生もほぼ満足し、実践の中で少しずつ指導に変化を示しています。発表はその点についての研究の一端を紹介しています。

CLILは、教師自身が学習に対する考え方を変え、自身の指導観に合った学習を、生徒の学習観に無理なく合わせていくことに、その効用があるだろうと思います。「CLILの教え方はこうであらねばいけない」「私こそがCLILのカリスマ教師だ」などという考えはまず捨てることが大切でしょう。

CLILは、教えること、学ぶことの楽しさを与えてくれます。それを、台北でも伝えたかったのですが、そうはいかなかったのではないかと思います。この点について、さらに検討を重ねていきたいと考えています。


2012年10月28日日曜日

CLILの事例2(オーストリア)

先日、ウイーンの教育大学(Pädagogische Hochschule Wien)でCLIL(英語)の研修を参観しました。ICTなどに携わる先生方がCLIL指導力をさらに高めるための現職教員研修です。20人程度の受講生がいくつかのモジュールを受講します。各学校で公務として認められている研修です。修了後はCLIL指導のお墨付きがもらえるということです。


まず、受講者の英語力がCEFRでB2かC1程度で、ほぼ英語を使うことには問題がないというように判断できます。しかし、その英語力は「生徒に英語を教える力」ではありません。この点が、CLIL研修のポイントとなっていました。この点についは、ここでは省略しますが、とても参考になる研修会でした。

参加者は、強制されて来ている訳ではなく、また、受講することで給料があがる訳でもないそうです。ちょっとこの辺りはもう少し調査する必要がありますが、自分の力量をあげるためであり、キャリアのためもあるようです。みなさん熱心です。その背景には、ICTなどを教える上で英語指導の必要性を痛感して、参加しているようです。生徒は英語が必要だ、そのためには、自分もCLILを指導してみようということのようです。この背景には、オーストリアの教育制度が背景にあることは言うまでもありませんが、私はその全体像を把握していないのでここでは言及を避けておきます。

ウイーン教育大学では、義務教育の教員養成を行なっています。その中に、もちろんCLILも教えられています。全体のシステムがどのようになっているのかは、勉強不足で正確には理解していませんが、基本的には、教師として二つの科目を教えられることが義務づけられているということが、CLILなどの普及に貢献していると考えられます。また、英語が必要であり、そのための英語を、CLILとは言わないまでも、様々な科目指導を通して、学校の中で使うという指導が行なわれています。ある程度、教師の裁量にまかされている点があるので、どの程度行なわれているかはよく分かりません。

しかし、この点は、オランダなどとはちょっと違います。オランダは英語がかなり優先される言語で仕事上必要な言語となっていますが、オーストリアはドイツ語を優先していますから、ドイツ語がまず第1でその次が英語という感じでしょうか。しかし、ドイツ語と英語は言語的にも近いのであまり違和感はないようです。このあたりももう少し説明が必要かもしれません。日本も同様で、日本語が強いので、生活言語は日本語が圧倒的に大切ですが、英語と日本語はかなり違います。やはり、言語文化の事情は考慮しなければいけません。CLILを推進する場合はこの点を慎重に考える必要がありそうです。

オーストリアでも、小学校から英語教育は盛んになっています。小学校は4年ですが、1年生から英語を指導しています。それとは別に、すでに述べたとおり、英語を使う環境を提供しています。その背景には、CEFRが大きな役割を果たしています。日本から見ると、この枠組みがわかりにくいようです。CLILは、CEFRを基盤とした一つの大きな歯車です。また、多言語多文化、複言語主義(plurilingualism)が大きく影響しています。オーストリアでも、その理念を推進していると言ってよいでしょう。これも、相当にきちんと説明する必要がありますが、省略します。

オーストリアのCLILは、フィンランドのCLILとは推進の質が違いますが、CLILということばを使わなくても浸透している点では似ているかもしれません。ボローニャプロセスを実行するために、オーストリアの教員養成も変わるそうです。教師の質を高めようとしています。そのためには、言語は欠かせない「ツール」です。教師が一つの言語を通して教えると言うよりは、ドイツ語と英語という言語を基本として、さらに、その他のヨーロッパ言語を使って、教えるというような意識があるようです。さらには、一つの科目だけを教えるのではなく、科目間という考え方が主流です。

いくつかの科目を教えるというニーズは、オーストリアだけではなく、ヨーロッパ全体に言えることのようです。言語であれば英語とその他の外国語というのは当然のようになってきています。また、理科や数学などの科目を教えている人は、英語がある程度できる人が多くなっていますから、また、すでにバイリンガルの人もいるので、そのような人がCLILに興味を持つのは当然かもしれません。

日本でも、実は、英語のできる教師は増えています。しかし、英語の教師に遠慮しているという状況があるような気がします。逆に言うと、文法や発音などが正確に教えられないと英語を教えてはいけないような雰囲気もあるように思います(個人的な感想で根拠はありません)。それと較べると、英語やその他の言語を使うという考え方が、学習するということ、正確な知識を優先するということ、学校で科目として学ぶということと違い、優先されているように思います。

そこに、CLILが入り込んでいます。ある科目を教える人が、英語を使って教えてみる、という考え方の根底には、そのような実用性の尊重の考え方があるようです。しかし、当然ながら、CLILは、「科目とことばを統合した学習」のことですから、その点についてもっと知りたい、もっと深めたい、という考え方をする教師が多少いるということでしょう。

研修の様子の講師の先生、Dr Teresa Ting先生の講習内容は、Cognitionを大切していました。受講者が自分で言語を学ぶということはどういうことなのかを気づいてもらうようなアプローチです。先生の意図は、受講している先生にはどの程度伝わっているかは分かりませんでしたが、「教える」ことの意識を変える可能性があることが感じられました。講習会の中では、そのあたりの議論もありました。

また、オーストリアでのCLILについて印象的は点は、バイリンガルということです。ドイツ語と英語の両言語を使うということです。この二つの言語をどう使うかということが課題ですが、必ずしも「英語だけを使って教える」ということではないことがよく分かります。さらに、「科目を教えながら、英語をどう指導するのか」という点が、やはり大きな課題であることも分かりました。英語の教師にとっても、このあたりはもう少ししっかりと考えたほうがよいと思いました。










2012年9月20日木曜日

CLILの事例1(フィンランド)

CLILを理解するためにいくつか事例の話をしましょう。

フィンランドに何度か行きました。明確にどの程度CLILが普及しているのか把握できませんが、CLILの理念はかなり浸透している印象を受けています。

CLILという用語を使うかどうかは別にして、英語で科目を教えている授業はいくつかの授業で実施されています。それとともに、英語の授業でCLIL的な活動が実施されています。

CLILの定義に関しては、こだわりを持って明確にしようと努力し、関心を持って人がいます。しかし、おそらく定義をすることはむずかしいだろうと思います。

それにこだわるよりも、何を教えるのか、学習目的を明確にすることのほうが重要だと、フィンランドの先生は考えているような印象を持っています。

英語の授業では、英語は、基本的に「道具」だということが明確です。フィンランドのNational Core Curriculumに次のような外国語学習についての記述があります。


Instruction in foreign languages will develop students’ intercultural communication skills: it will provide them with skills and knowledge related to language and its use and will offer them the opportunity to develop their awareness, understanding and appreciation of the culture within the area or community where the language is spoken. In this respect, special attention will be given to European identity and European multilingualism and multiculturalism. Language instruction will provide students with capabilities for independent study of languages by helping them to understand that achievement of communication skills requires perseverance and diversified practice in communication. As a subject, each foreign language is a practical, theoretical and cultural subject.

ことばと文化の理解によるコミュニケーション能力と自律学習が、実践的、哲学的に奨励されていることが分かります。これは、CLIL的な考え方を内在しているのです。

実際に、英語やその他の外国語の授業を参観すると、その理念が授業に反映されていることがよく見られます。

CLILの価値

英語の授業をみなさんはどうイメージするでしょうか?

小学校の外国語活動に携わる小学校の先生、児童英語教育指導者の先生、中学校の英語の先生、高校の英語の先生、ALT の先生、専門学校などの英語の先生、大学の英語の先生などなど、様々な人が英語を教えています。個々の違いはありますが、なんとなくそれぞれの授業に対してばくぜんとした授業イメージがありますが、そうでなくてはいけないという理由は明確ではありません。

しかし、公立の中学校などカリキュラムが比較的きっちりしています。授業研究が盛んであるためでしょう。小学校の外国語活動も授業が多く公開され、あるかたちに収束していく傾向があります。カリキュラムは教え方まで規定しているとは思えませんが、いつの間にかある授業パタンが多くなります。「真似る」ということでしょうか?しかし、これもそうしなければいけないという理由はありません。

指導法(メソッドあるいはアプローチ)についてはどうでしょうか?Communicative Language Teachingと言われる指導法はあまり明確ではありませんが、現在は主流と言ってよいでしょう。それに対して文法訳読法も実は主流のようです。さらには、多種多様な指導のあり方があるようです。私はどれでもその人にとって効果があれば、それでよいと考える立場を取っていますが、これらの指導法の違いにこだわる人も多いようです。しかし、学習者が英語を学ぶこと自体の目標はそれほど変わりません。学習指導要領に記載されている目標はごく当たり前のことです。教え方は本来自由ですが、忙しい仕事や教室環境や社会のニーズなどのことを考えると、ある指導のかたちに収束するのは仕方ありません。

バイリンガリズム、イマーションによる英語教育も根強いものがあります。歴史もあり、実績もあります。CLILがそれに取って代わるものではないことは事実です。やっていることは同じですが、問題は、教師の考え次第です。私自身は、これはイマーション、あれはCLILなどと分けることは意味がないと思っています。それは研究者のすることです。学習者はどう考え、どう「学ぶ」のかということが問題です。

その観点から、あえて違いを言うと:

「CLILは、英語母語話者でない教師が教える」

「イマーションは、バイリンガルの教師が教える」

ということが言えるようです。しかし、バイリンガルの教師がCLILを教えてはいけないということではありません。

つまり、CLILのほうが、「学び」を総合的に演出できる可能性があるということです。イマーションは、比較的高い言語能力を要求される傾向にあります。あるいは、高いニーズが要求されると言ってもよいでしょう。ですから、日本のように常に日本語が使われている環境では、イマーションはむずかしいと言えるでしょう。しかし、CLILは、そのような環境も意識して「学び」を演出すればよいわけです。日本語を使い、日本語が分かり、英語学習の苦労も分かる人が教えるほうが、「学び」を演出しやすいでしょう。

CLILでは、完璧(?)な英語を使える必要はありません。イマーションはそうである必要があります。数学や理科の先生が、英語を使って「学び」を演出することに意義があるのです。

この点は、うまく説明できないのですが、生徒からすると、英語の先生ではないふだん日本語で教科を教えている先生が、英語を使って、内容のあることを教えているということに、かなりの刺激を受けるようです。何度もこの場面を見ました。これは、英語の先生にとっては複雑かもしれません。あるいは、このことは英語の先生にはよく理解できないかもしれません。が、この刺激が大切だと思います。CLILはそれを「意識する」きっかけを与える可能性があります。

だらだらと書きましたが、CLILはやはり価値がある発想だとあらためて思います。しかし、多くの人の「CLILとバイリンガリズム、イマーション、内容重視の指導はどう違うのか?」の問いは重要です。

個人的には、その問いがなくなったときに、CLILは認められ、その価値を発揮するのでしょう。

再度くり返します。

CLIL は特別ではありません

2012年9月3日月曜日

CLILは特別ではない

CLILに関してみなさん誤解しているのではないか?

結論から先に述べましょう。

CLILに関しては様々な考え方があります。つまり、CLILは多様です。

私は、『CLILー新しい発想の授業』という本を共著で出しました。そこでは、CLILは指導法として紹介しています。一つの理念のもとにCLILを紹介しています。私自身はそれで授業を組み立てます。

しかし、CLILは多様です。本の中でも言及してありますが、バイリンガリズム、イマーション、内容重視の言語指導、などなど、すべてを包含しています。

「何をどうやって教えるんですか?」「指導の手順は?」「導入はどうやって、展開はどうするのでしょうか?」「評価は?」などなどの質問にはちょっと答えにくいというしかありません。

簡単に言えば、「いままでと同じでよろしいのではないでしょうか」と答えます。つまり、いままでのカリキュラムにそった指導の延長にあってよいのではないかと思います。

一つ言えることは、そこに科目内容の観点を入れることでしょう。

CLILは何も特別で魔法のような指導ではありません。しかし、いままでにない「学び」を提示してくれます。おそらく、それは教師が考え方を変えることに意味があります。上記のような疑問を持たなくなったときに、CLILは根付くと思っています。

いままでの英語教師としての観点から、自分の指導に自信があり、よい「学び」を提供できている教師には、CLILは必要ないでしょう。悩んでいる教師には、CLILは何かをもたらしてくれるはずです。

CLILを指導する際に、学習者のレベルにこだわる人がいます。英語指導であれば英語ができなければCLILはできないという固定観念がありますが、はたしてそうでしょうか?そう考えたときに、すでにCLILの発想ではないように、個人的には思います。

本の中でも紹介しましたが、小学校でのCLILは、目標言語ができなくてもかまいません。その範囲内で「学び」は可能です。私たちが、知らない言語、外国語を学ぶ場合、本当に、基礎から、発音、文字、文法、語彙などを学んでいく必要があるでしょうか?

ことばを学ぶ場合は、まず動機と必要性が大切だと思います。知らないことばでも状況を頼りにある程度のことは推測できます。それではもちろん限界があるし、効率はよくありません。しかし、そのようなよく分からない状況でもコミュニケーションが取れたときは嬉しいものです。ことばができなくても人はある程度コミュニケーションができます。

また、何かを知りたいと思う動機や必要性は、おそらくどんな人にも「学び」の意欲を引き出すと考えます。CLILのヒントはそこにあると思います。

動機も意欲もない人に「学び」を強制しても無駄でしょう。教師はそこまで考える必要はないと思います。しかし、動機や意欲を引き出すための方策は考えるべきです。

それが、CLILではないかと勝手に思っています。

CLILには可能性があります。ぜひ始めてみてください。

2012年7月23日月曜日

埼玉医科大学のCLIL(1学期を終えて)

このサイトは、ローカルにCLILの広がりを支援するサイトです。興味を持つ人は、ぜひ軽くCLILを実施してみてください。

ということで、私たちの実践を報告しておきましょう。

埼玉医科大学ではCLILを実施しています。

ようやく1学期が終わり、学生からも感想が寄せられました。総じて好評でした。担当していただいている5人の先生は、それぞれの個性を生かして授業を展開しています。

今年から新しく作成した教科書『CLIL Health Sciences』を使って授業をしてもらっていますが、必ずしも教科書を教えているわけではありません。それぞれ学生の反応を見ながら活動をしています。

おおまかな方針として、教科書の扱うTOPICだけを決めました。私は一切口出しをしないで担当の先生方にまかせています。すると驚いたことに、TOPIC1のMath and Countingはだれも扱いませんでした。これにはいろいろと理由があるみたいです。

授業は65分です。ちょっと変則ですが、1時間が2クラス合同で、その後1時間12〜3人のクラスで活動します。教科書の内容はむずかしい部分もありますが、そうではない部分もあります。日本語では簡単に理解できる部分も英語ではうまく説明ができなかったりします。先生に質問しても、先生も分からなかったりしますが、そのような自然な内容をともなったコミュニケーションがある意味で興味をそそるようです。

活動では、ポスターを作成して、互いに英語で発表したり、簡単なスピーチをしたり、クイズをしたりと様々です。考慮しなければいけない課題もたくさんありますが、とりあえず成功と言ってよいでしょう。

学生の評価の平均です。7段階評価です。

学習内容(CONTENT)                                   5.0
言語学習(LANGUAGE/COMMUNICATION)    4.9
協力(COMMUNITY)              5.2
思考(COGNITION)                                         5.0

コメントには、

ふつうの英語の授業とちがっておもしろい
互いに協力できるのでよい
医療の内容が学習できる

などがありました。

夏休み明けも続けていく予定です。課題は、やはり、CLILをどう考えるかでしょう。また、学習する内容の深さにも注目しなければいけません。学生は「楽」を求めがちです。評価はよくても、その質に問題があるかもしれません。

CLILを実施するにあたって、私が最も重視することは、先生が楽しまなければいけないということです。CLILの型を押し付ける気はないので、5人の先生それぞれの工夫を尊重します。しかし、お互いに自然に情報交換し、他の先生が工夫している姿を見たり、学生からの反応がよかったりすると、それに刺激されて、さらに工夫を重ねる姿がありました。

無理をしないで、すこしずつCLIL的に授業を展開することで、学生も教師も「学ぶ」ということにつながればよいと思っています。

CLILをみなさん始めてみてください。

2012年5月26日土曜日

講演の感想

〜ひとり言(その一)〜

先日、埼玉県の高校英語教育研究会総会で、CLILについて話す機会がありました。よい機会でしたので、このブログで「ふりかえり」をさせてもらいます。

とりあえず願いは、私の拙い話を聞いて、一人でも多くの先生が、少しでもCLILらしいことを始めてくれたらうれしいと思っています。

講演を終えて、先生方の関心はやはり「明日の授業に役立つ」内容だと強く感じました。また、一人ひとりの先生が教師としてのビリーフを強く持っているとあらためて思いました。もちろん、私も含めてですが。

CLILは明日役立つとはいかないかもしれませんが、そのような強い個人のビリーフを変えるきっかけとなる可能性があると思っています。また、CLILは、明らかにこれまでと違う指導法を提供してくれるものではありません。多少時間がかかるし、明確にあるマニュアルどおりに授業をすればうまくいくというものでもありません。

しかし、これだけは言えるとおもいます。それは、とりあえず、やってみれば、おもしろい。そのことは、体験として言えます。

CLILの話をすると、必ず尋ねられる質問があります。当日も尋ねられました。

「Bilingualism、Immersion、CBIとどう違うのか?」

私はこの質問にどうしてもうまく答えられません。というよりも、「どうしてそのような質問が大切なのか?」という疑問が先に来ます。それは自分が体験して気づいたことだからです。

実は、この質問は、私がヨーロッパでしてきた質問と同じだからです。ヨーロッパの多くの人もうまく答えられません。ある人たちは無視します。それでもCLIL授業をしています。「CLILでもバイリンガル教育でもどちらでもかまわない。だけど、生徒が活動しているでしょう?どう見て?そんな質問はどうでもいいじゃない」というような対応が多かったです。

もちろん、CLILにはある方法論は存在すると思います。私は、それにはあまりこだわらないほうがよいと考えています。自分の教え方のスタイルを持って、それを追求していることのほうが大切だからです。

CLILの指導的な立場にいる人は、ある方法を示しますが、強制はしません。たとえば、ごく普通のCLIL教師は、ごく普通にある科目を英語で教えています。理科を英語で教えている、地理をフランス語で教えている、というような感じです。一見何も工夫がないように見えますが、そこには、ことばや活動への配慮が当然あります。これはイマーションかもしれません。あるいは、CLILかもしれません。あるいは、あえてCLILと言わない人もいます。どちらでもよいのではないかと思います。そこに「学び」があれば目的は達成されるからです。生徒が喜んで熱心に活動している実態があればよいと考えてはどうでしょうか。

アプローチはたくさんあります。教師がそれをCLILと考えて追求してみると、いままでとらわれていた英語指導に関するある呪縛から解き放たれるのではないでしょうか?CLILを実践するということは、そういうことだと考えています。つまり、

content     cognition     culture (community)    communication

が教師の意識の中にあり、生徒が「為すことによって学ぶ(learning by doing)」ということを尊重する。自分の英語教師としての教え方を基盤に、ちょっと発想を変えてみる。


このブログを「CLIL SAITAMA」と命名して、少しずつCLILを発信します。

問合せは、笹島茂 sasajima@saitama-med.ac.jp へどうぞ。



2012年5月18日金曜日

CLIL SAITAMA


CLIL JAPAN JACET  → CLIL SAITAMA

このサイトは、笹島茂がかかわるCLIL (Content and Language Integrated Learning)実践のメモです。
興味関心のある方はご連絡ください。2012年5月

笹島茂 (埼玉医科大学) sasajima@saitama-med.ac.jp