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CLIL SAITAMA(旧名称)

Current Practices and Future Perspectives of Content and Language Integrated Learning (CLIL) in Japan

CLILは、次第に注目を集めています。本サイトは、笹島茂がかかわるCLILの実践やつぶやきを集めたものです。参考にしてください。

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2015年6月29日月曜日

CIEE新潟同友会にて

6月27日(土)は、CIEE新潟同友会総会に招かれ、長岡でCLILの話をしました。新潟では、長い歴史のある英語研究会であり、新潟県の英語教育を中心的に担っている人の会です。このような会での話はたいへん光栄で、かつ、参会者の方を実りある意見交換をしました。

私が話す前に、研究発表として二人の先生が話してくれました。中高一貫校の6年の指導と、インタビュー活動におけるルーブリックの活用という高校での実践の話でした。両方とも、単なる研究発表ではなく、本音も聞けた興味深い話でした。お互いが気心のしれた集まりということもあったのでしょう。率直な研究と指導を現場の実践が聞けたことは、私の研究の興味にぴったりでした。可能であれば一度学校を訪問させていただきたいと思いました。

会長の廣田先生と事務局の森先生の人柄だと思いますが、暖かい雰囲気で実に心地よく話すことができました。この会に呼ばれたのは、顧問をされている阿部先生(さん)の誘いでした。阿部先生は、大学時代の先輩で、もともとは物理学を学び、新潟では理科の先生をして、英語に転じた実に多才な人です。何でもできる先輩で行動力のある人です。廣田先生も森先生も、その阿部先生を通じて、今回知り合いました。

CLILについては、その場にいた先生にはまだ未知の「学び」のようでしたが、意外にスーッと理解してもらったのではないかと勝手に思っています。演題は「CLILがつなぐコミュニケーションの輪」としました。いままであちらこちらで話した内容をいくつか合わせて話しました。目的は、CLILに興味を持ってもらいたかったからです。使ったスライドはこのページからダウンロードできるようにしておきます。興味のある方は見てください。

当日はちょっとうまく説明ができませんでしたが、「CLILがつなぐコミュニケーションの輪」の意味は、下の図です。CLILでは、cultureを大切にしています。私は、CLILが日本に定着するかどうかは、図に示したIntercultural awareness(文化的な気づき)の理解のしかたにあると考えています。多様な学びが、これまでの伝統的な学びをうまくつなぐカギのヒントがCLILにあるのではないかと思うわけです。

このあたりは、私もうまく説明できないし、その実践も積み重ねているわけではないので、明確に言えませんでした。発表の冒頭で、3年前に参加したオランダ・ユトレヒトで行われた ヨーロッパのCLILの学会で偶然出会った世界で最も小規模な世界遺産、the Rietveld Schröder Houseは、私に「CLILとは何か」を教えてくれたような気がします。

CLILはそれほど奇抜な教育ではありませんが、やはりいままでの英語教育とは違います。また、それぞれの科目の教育とも違います。特に型はありません。一見すると何も起こっていないようにも見えますが、よく見ると「え?」と思うことがあります。それが、the Rietveld Schröder Houseによく似ているように思うのです。

この家は、100年近く前に作られた家です。当時は斬新なもので、いまでもある面では斬新なものです。しかし、一見するとごく普通の家です。CLILとはそのような感じの教育です。それが世界遺産として後世にも残す必要があると判断された発想が、私は重要だと思っています。

しかし、この機会に多くの先生方に興味を持っていただき、いずれにしても感謝しています。森先生からも多くの示唆を受けました。また、参会者の先生方からも多くのヒントを得られました。一つ印象に残ったのは、廣田先生の、「CLILは中学校の実践の中でもけっこうやっていることですね」という感想です。私も実はそう感じています。中学校の先生はかなり工夫をして授業をしています。そのような授業をかなり見ました。また、高校でもそうです。CLIL的な要素はけっこう日々の実践の中でも多くの教師がやっていることなのです。杉田先生が、2年後に全国英語教育学会が新潟で開かれると教えてくれました。ぜひCLILを取り上げてください。CLIL NIIGATA をぜひお願いします。

私は、ヨーロッパのCLILを日本に取り入れようとは考えていません。CLILという教育を通して、英語の学びあるいは英語による学びを少し別の角度から考えてみませんか?ということです。関心を持ってもらえれば幸いです。

懇親会まで開いていただき、まことに感謝です。阿部さん、よい出会いをありがとうございました。またの機会を楽しみにしています。写真を撮るのを忘れてしまい、画像がなく申し訳ありません。では、また。


2015年6月15日月曜日

東洋英和CLIL ReN第2回会合

東洋英和CLIL ReNの集まりの第2回が6月13日にありました。

武藤克彦先生の「イングリッシュキャンプにおける参加児童のCan-Do評価」という話をもとに、いろいろと意見交換しました。参加者は、大学関係者が多かったのですが、小学校や小学校英語教育にも詳しい人が多かったので、活発なやりとりが行われました。

私自身も小学校の英語活動や子供の英語力や英語コミュニケーション能力や国際理解を育成する活動には興味があり、武藤先生の話はとても興味深い内容でした。

ある団体が主催するイングリッシュキャンプで国際理解教育をもとに、学生を中心とするリーダーととともに英語で様々な活動をするという内容です。英語学習を主たる目的とするのではなく、「何かをしながら人と関わりながら学ぶ」という社会文化理論を背景とする視点で、武藤先生は子どもを見ているようです。Can-Do評価を利用しながら、子どもがイングリッシュキャンプで何をどう学ぶのかということを探索することが目的です。

現在の研究は、この段階からさらに進化し、多様な分析を試みているようです。研究成果が楽しみです。このイングリッシュキャンプ自体はCLILではありませんが、話し合いの中で、やはりCLILの話になりました。リーダー(チューター)はすべて学生で、英語を母語とする訳ではありません。英語はそこでは共通語で、それぞれの学生の出身国のことを話題として学びます。多様な内容や文化を子どもは知ります。もちろんその中で英語に触れるわけです。イマージョンということです。

このような活動は、CLILとして見ることが可能です。しかし、CLILは宗教でもある特定の指導法ではないので、この活動をCLILと言うか言わないかはあまり問題ではないと思います。率直な感想として、子どもは面白いと感じたのではないでしょうか?相当に様々なことを考え、学び、コミュニケーションし、文化的体験をしたはずです。これはCLILの「4つのC」にも合致します。その意味で、CLILと呼べば呼べるでしょう。

私は、何がCLILか、何がCLILでないかにはあまり興味がありません。率直に何か「学び」が起きている、あるいは、それが言語学習とかかわっている、ということに興味があります。それをCBI、CBLT、イマーション、バイリンガルなどと呼ばれ、区別されるわけですが、それはまた別の話と考えます。

人の興味は様々で、多様な「学び感」があります。年齢や経験を積み重ねれば積み重ねるほど、人は自分に自信を持ちます。確固としたビリーフを持ちます。教師であれば一つの指導法がかたまってきます。生徒であれば、学習スタイルが決まります。これはその人のアイデンティティーであり、変わる必要もありませんし、そう簡単に変わらないものです。

その意味で、武藤先生の紹介したイングリッシュキャンプはおもしろい題材でした。ある方向性は決まっているのですが、実際に参加した子どもが何を一番学んだかはおそらくわからないでしょう。しかし、たぶん子ども一人ひとりには大きな学びを与えたはずです。これを検証することはきっと意味があることです。その意味で興味があります。

CLIL的には、それぞれの子どもが主体的に何かできることが大切なのかな、と思いました。つまり、言語を英語ということに規制することに対して、主催者がどう考えているかです。英語という言語に限定することにより、不自然になります。内容を自然と単純化します。これは自然ですが、それと併せて、母語を使ってはいけないとするとちょっと意味合いが変わります。あるいは、多言語状況を演出することもそうです。さらには、文化をどう扱うかです。

このような英語イマーションプログラムはあちらこちらで行われ、成果を出しています。きっと子どもにはよいことでしょう。これをCLILと呼ぶか呼ばないかはそれほど大きな問題ではありませんが、教師がそれをどう考えているかは一つ一つの活動に影響を与えるでしょう。私はその点にとても興味を感じます。

武藤先生ありがとうございました。このブログは私の記録としてのメモです。思い違いや文章の不備はご容赦ください。

第3回は、7月18日(土)3時〜5時です。仲谷先生、油木田先生、大和先生が話題提供してくれます。