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CLIL SAITAMA(旧名称)

Current Practices and Future Perspectives of Content and Language Integrated Learning (CLIL) in Japan

CLILは、次第に注目を集めています。本サイトは、笹島茂がかかわるCLILの実践やつぶやきを集めたものです。参考にしてください。

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2015年8月15日土曜日

JACET関東支部大会シンポジウム


7月12日(日)にJACET関東支部大会が青山学院大学で行われました。その際に、次のタイトルで、森住衛先生と塩澤正先生と私でシンポジウムを行いました。

統合型英語教育における異文化間多様性
Intercultural Diversity of Integrated Learning in English Education 

森住先生の大きく深い視点は、「文化」ということをそう簡単には論じられないことを指摘しました。また、塩澤先生も、同様な視点から、より実践的に「文化」を論じてくれました。私は、軽く「文化」を取り上げました。「異文化間多様性」はintercultural diversityという英語を直訳した日本語で、少し判りにくいかもしれません。私は次のように理解してシンポジウムに参加しました。

intercultural diversity   文化と文化が相互に接触することにおいて起こる多様性

「異文化」という語は、「異なる文化」という意味ですが、私の個人的な感覚で、どうしても、異人、異邦人など、「ふつうとは違う」「自分とは違う」というようなニュアンスがあると感じてしまうので、あまり使いたくないので、ここでは、

intercultural diversity =  文化間多様性

として考えます。

文化は日本でも多様になってきていることはまちがいありません。その意味から実践的な文化ということについて、CLILという統合的な学習において、私は考えました。

その際に、私は、「CLILにおける統合の意味と文化の扱い」ということを話しました。スライドはここをクリックしてください。そこで、「統合(integrated)」の意味について次の点に触れました。

• 学習者は多様な文化に直面している
• 英語学習は英語学習だけではおさまらない
• 学びの場面は複雑だ
• 多くの学習者にとって英語は道具にすぎない
• 言語も文化も学ぶ対象だ
• 学ぶことや教えることを楽しむ
• 統合の中に何かが生まれる

CLILはごちゃごちゃしている感じが好きです。その意味で、統合をとても大切にしているし、統合がなければCLILとは言えないでしょう。その点から、英語学習であれば、英語を学び使うということは、学習者にとっては単に道具でしかないと考えます。しかし、これが意味を持ち、文化も深く考えるためには、言語自体が文化になり、単なる道具ではなくなり、学習や思考には欠かせないものです。

CLILは、その点で、かなりの部分を学習者に委ねる教育です。教師が主体ではなく、あくまで学習者が主体となり、多様な学びを提供します。そこで、次のように、CLILの面白みを提案しました。

• 定型のない指導 ⇨ 開発
• 学習者が中心 ⇨ 教師と学習者の協同
• 個々の学習者の学習過程の複雑さを大切
• 複雑な学びの中で、学習者自身が思考し発見する状況を「見取る」
• CLILは一つのComplex Adaptive Systems
• 何が起こるか分からないが、系統的

この中で、強調したい点は、CLILは一つのComplex Adaptive Systems(CAS)(複雑性適応系)と考えると分かりやすいということです。授業自体がCASと考えられるのですが、CLILはまさにCASです。CASは複雑に展開しますが、自然となんらかの方向性に向かい落ち着きます。いままでの日本の英語教育はなんらかのCASを形成しています。CLILはこのような英語授業をいままでとは少し形を変えたCASを発現する可能性があると考えています。その点にCLILの面白みがあるのです。

これには、文化間意識(intercultural awareness)は重要です。シンポジウムではその点を述べたかったですが、なかなかむずかしいですね。


2015年8月14日金曜日

JACET北海道支部での講演

あっという間に、時が過ぎました。ブログに書こう、書こうと思いながら。。。遅くなりましたが、報告します。

7月4日(土)に北海道ニセコにおいて行われたJACET北海道支部総会で話をしました。「CLIL/CBLTが育む 英語教師のこころの変化」と題した話です。その他、シンポジウム「言語教師認知研究と英語教育」を、河合靖先生、志村昭暢先生、中村香恵子先生と行いました。シンポジウムは、本ブログとは話題が違うので割愛しますが、充実した1日でした。

ニセコは、初めて訪れたところですが、噂で聞いていたとおり、オーストラリアや中国の人たちが多く住むようになり、地方からおもしろい形であちらこちらとつながるようになっていると感じました。グローバル化とか国際化とか言われて騒いでいますが、これってごくふつうのことのような気がしました。ただ少し危惧するのは、地元の人がどう対応しているのかという点でした。おそらくなんらかの軋轢があるはずですが、印象としてはたいへんポジティブで、うまくいってほしいと思います。

さて、私の講演ですが、「CLIL/CBLTが育む 英語教師のこころの変化」と題したとおり、タイトルにCLILに加えてCBLT (Content-based Language Teaching)ということばを入れて、英語教師のこころについて話しをしてみました。少し焦点がぼやけて、ピントがずれたかもしれません。期待されていた話は、CLILのもっと具体的な部分のようでした。

そこで、二つの相反する方向性に気づきました。

1)CLILに興味を持つ人が多くなり、今後の発展の可能性
2)CLILは結局ヨーロッパの教育で、日本での実施は無理

どちらに向かうのかは、教師の考え次第です。

私は、そのように考える教える側に興味があり、その教える側の立場からCLILに興味を持ちました。というのは、私自身の教え方も実際CLIL的な要素がある授業を展開していたので、自然にCLILに近づいたので、あまり違和感がありませんでした。しかし、それとともに、言語教師の教えることや学ぶことに対する考え方(教師認知:teacher cognition)を研究しているうちに、日本の中高で教える英語教師の認知(「こころ」と呼んでいます)が、長い年月の間に構築されたある集合的な方向性を持っていることに気づきました。それを変える可能性があるのが、CLILという教育理念だと考えたのです。

日本の英語教育の問題は、何も日本の英語教師だけにはかぎりません。私の話は、ネイティブ・スピーカーがCLILに取り組むことにより、その「こころ」がどう変化したかに多少触れました。ちょっとそのあたりがうまく話せませんでしたが、ネイティブ・スピーカーとのティームテイーチングによりかなり変化しました。効果はあったと考えています。

北海道でもCLILがかなり興味を持たれているようで、同時期にいくつか同じ話があちらこちらであったようです。CLIL についても理解が進んでいるのでしょう。多様なCLILがあり、また、CLIL自体がそれほど特別なものではないと受け止める人が出てきています。「これまで展開されてきた内容やテーマを重視した英語授業と何が違うのか?」という素朴な疑問があるようです。これは、言い換えれば、多くの人がCLIL的な内容を実践されているということでもあります。うれしいことです。ぜひ、よいかたちで進んでほしいと思います。

北海道支部の取り組みがhospitalityというテーマを中心に展開しているそうです。そのためにニセコを選んで大会を行ったと聞きました。hospitalityというのは状況により、また、文化によりかなり異なります。相手がどう感ずるか、どう考えるか、そのために自分はどう行動するのか、などなど。この視点は、CLILの4つの原理の一つであるcultureと共通します。

CLILがヨーロッパとは異なるかたちで北海道の言語教育に定着してくれたらうれしいです。

発表スライドは、ここをクリックしてください。