7月12日(日)にJACET関東支部大会が青山学院大学で行われました。その際に、次のタイトルで、森住衛先生と塩澤正先生と私でシンポジウムを行いました。
森住先生の大きく深い視点は、「文化」ということをそう簡単には論じられないことを指摘しました。また、塩澤先生も、同様な視点から、より実践的に「文化」を論じてくれました。私は、軽く「文化」を取り上げました。「異文化間多様性」はintercultural diversityという英語を直訳した日本語で、少し判りにくいかもしれません。私は次のように理解してシンポジウムに参加しました。
intercultural diversity 文化と文化が相互に接触することにおいて起こる多様性
「異文化」という語は、「異なる文化」という意味ですが、私の個人的な感覚で、どうしても、異人、異邦人など、「ふつうとは違う」「自分とは違う」というようなニュアンスがあると感じてしまうので、あまり使いたくないので、ここでは、
intercultural diversity = 文化間多様性
として考えます。
文化は日本でも多様になってきていることはまちがいありません。その意味から実践的な文化ということについて、CLILという統合的な学習において、私は考えました。
その際に、私は、「CLILにおける統合の意味と文化の扱い」ということを話しました。スライドはここをクリックしてください。そこで、「統合(integrated)」の意味について次の点に触れました。
• 学習者は多様な文化に直面している
• 英語学習は英語学習だけではおさまらない
• 学びの場面は複雑だ
• 多くの学習者にとって英語は道具にすぎない
• 言語も文化も学ぶ対象だ
• 学ぶことや教えることを楽しむ
• 統合の中に何かが生まれる
CLILはごちゃごちゃしている感じが好きです。その意味で、統合をとても大切にしているし、統合がなければCLILとは言えないでしょう。その点から、英語学習であれば、英語を学び使うということは、学習者にとっては単に道具でしかないと考えます。しかし、これが意味を持ち、文化も深く考えるためには、言語自体が文化になり、単なる道具ではなくなり、学習や思考には欠かせないものです。
CLILは、その点で、かなりの部分を学習者に委ねる教育です。教師が主体ではなく、あくまで学習者が主体となり、多様な学びを提供します。そこで、次のように、CLILの面白みを提案しました。
• 定型のない指導 ⇨ 開発
• 学習者が中心 ⇨ 教師と学習者の協同
• 個々の学習者の学習過程の複雑さを大切
• 複雑な学びの中で、学習者自身が思考し発見する状況を「見取る」
• CLILは一つのComplex Adaptive Systems
• 何が起こるか分からないが、系統的
この中で、強調したい点は、CLILは一つのComplex Adaptive Systems(CAS)(複雑性適応系)と考えると分かりやすいということです。授業自体がCASと考えられるのですが、CLILはまさにCASです。CASは複雑に展開しますが、自然となんらかの方向性に向かい落ち着きます。いままでの日本の英語教育はなんらかのCASを形成しています。CLILはこのような英語授業をいままでとは少し形を変えたCASを発現する可能性があると考えています。その点にCLILの面白みがあるのです。
これには、文化間意識(intercultural awareness)は重要です。シンポジウムではその点を述べたかったですが、なかなかむずかしいですね。
統合型英語教育における異文化間多様性
Intercultural Diversity of Integrated Learning in English Education 森住先生の大きく深い視点は、「文化」ということをそう簡単には論じられないことを指摘しました。また、塩澤先生も、同様な視点から、より実践的に「文化」を論じてくれました。私は、軽く「文化」を取り上げました。「異文化間多様性」はintercultural diversityという英語を直訳した日本語で、少し判りにくいかもしれません。私は次のように理解してシンポジウムに参加しました。
intercultural diversity 文化と文化が相互に接触することにおいて起こる多様性
「異文化」という語は、「異なる文化」という意味ですが、私の個人的な感覚で、どうしても、異人、異邦人など、「ふつうとは違う」「自分とは違う」というようなニュアンスがあると感じてしまうので、あまり使いたくないので、ここでは、
intercultural diversity = 文化間多様性
として考えます。
文化は日本でも多様になってきていることはまちがいありません。その意味から実践的な文化ということについて、CLILという統合的な学習において、私は考えました。
その際に、私は、「CLILにおける統合の意味と文化の扱い」ということを話しました。スライドはここをクリックしてください。そこで、「統合(integrated)」の意味について次の点に触れました。
• 学習者は多様な文化に直面している
• 英語学習は英語学習だけではおさまらない
• 学びの場面は複雑だ
• 多くの学習者にとって英語は道具にすぎない
• 言語も文化も学ぶ対象だ
• 学ぶことや教えることを楽しむ
• 統合の中に何かが生まれる
CLILはごちゃごちゃしている感じが好きです。その意味で、統合をとても大切にしているし、統合がなければCLILとは言えないでしょう。その点から、英語学習であれば、英語を学び使うということは、学習者にとっては単に道具でしかないと考えます。しかし、これが意味を持ち、文化も深く考えるためには、言語自体が文化になり、単なる道具ではなくなり、学習や思考には欠かせないものです。
CLILは、その点で、かなりの部分を学習者に委ねる教育です。教師が主体ではなく、あくまで学習者が主体となり、多様な学びを提供します。そこで、次のように、CLILの面白みを提案しました。
• 定型のない指導 ⇨ 開発
• 学習者が中心 ⇨ 教師と学習者の協同
• 個々の学習者の学習過程の複雑さを大切
• 複雑な学びの中で、学習者自身が思考し発見する状況を「見取る」
• CLILは一つのComplex Adaptive Systems
• 何が起こるか分からないが、系統的
この中で、強調したい点は、CLILは一つのComplex Adaptive Systems(CAS)(複雑性適応系)と考えると分かりやすいということです。授業自体がCASと考えられるのですが、CLILはまさにCASです。CASは複雑に展開しますが、自然となんらかの方向性に向かい落ち着きます。いままでの日本の英語教育はなんらかのCASを形成しています。CLILはこのような英語授業をいままでとは少し形を変えたCASを発現する可能性があると考えています。その点にCLILの面白みがあるのです。
これには、文化間意識(intercultural awareness)は重要です。シンポジウムではその点を述べたかったですが、なかなかむずかしいですね。