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Current Practices and Future Perspectives of Content and Language Integrated Learning (CLIL) in Japan

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2015年5月17日日曜日

東洋英和CLIL ReNの発足について

東洋英和女学院大学に赴任して2月弱たちました。

CLILだけの研究ではありませんが、東洋英和という学校法人で働く人を中心に、「東洋英和英語教育(CLIL)研究交流会」(Toyo Eiwa English Teaching and CLIL Pedagogy Research Network)(略称「東洋英和CLIL ReN」)という集まりを、5月16日(土)に六本木の大学院校舎で行いました。

私が、私のCLILの理解を話し、集まった人たちで、それぞれの授業のことや、学生や生徒のことを話しました。たいへん楽しい会でした。まとまりのある話しではないので、ここでは、その話しの中で、私が思ったことをここで書いておきたいと思います。

一つは、英語授業の目的です。日本ではどうしても「受験」あるいは「テストでよい成績をとる」ということに注目されてしまいます。これは、日本だけではなく、当然と言えば当然で、おそらく多くの英語学習に要求されていることです。しかし、少し違うのが、英語を実際に使うというニーズに対する意識だと思います。英語をコミュニケーションとして使うという活動が、受験などのテストのスコアとつながらない、という思い込みです。あるいは、効率が悪い、という思い込みです。

別の観点から言うと、語彙や文法などの知識の詰め込みという学習から脱却できないことがあります。単語や熟語をたくさん覚えなければならない、あるいは、英語は効率よく読めなければいけない。そのためには、人とコミュニケーションをして英語を使うことより、個人学習を黙々と続けることのほうが効率がよい。そこで、教師は、授業で説明に終始し多くの言語材料を提供し、そのテストをする。生徒(学生)は、それを覚え、対応する。この悪循環(?)(vicious circle or cycle) からなかなか抜けられません。

そこで、CLILです。CLILと言うか言わないかは、あまり問題ではなく、上記のような学習を多少変えないと未来はないような気がします。CLILの基本は、受験やテストには適していると考えています。つまり、内容と言語の両方に焦点を当てているからです。英語をただ使って無駄にコミュニケーション活動をしているという誤解は解消できるはずです。英語だけ使っていると母語の日本語による思考力が育たないという誤解も解消できるはずです。

現在の学習は、ICTの発達で、知識詰め込みから、思考、創造、リテラシーなど、発想や情報の利用などのほうに移行しています。学校教育もその方向に変わりつつありますが、その評価測定方法が追いつきません。この点は私もよくわかりませんが、東大など頂点とする有名大学や有名校という神話に対抗する価値を、学習に見出さないと難しいのかもしれません。CLILでは、この点をCultureという原理で扱います。学習者が学習者として自律(learner autonomy)することが、CLILの大きな目標です。この点から、CLILは学習者の学習意識を変える力があります。

英語教育あるいは学習の目的を、建前だけではなく、本音でも、しっかりと考えることが大切なような気がします。

二つ目は、日々忙しい毎日が続きますが、「教えることを楽しむ」という気持ちが必要だと思いました。「授業は複雑」と言われます。同じ指導案で授業をしても、一つとして同じ展開になりません。つまり、教師の思い通りにはなりません。学習者も多様だからです。教師がうまくいったと思えたとしても、学習者がどう思っているかはわかりません。逆もそうです。それならば、「教師は楽しむ」と考えるほうが大切です。「楽しむ」というのは楽をするということではなく、「おもしろい」と自分が思うことです。自分のおもしろさを学習者と共有する、あるいは、学習者がおもしろいと思うことを広げる、など。CLILはそのきっかけとすればよいと考えます。その際に危険はことは、教師の興味を学習者に押し付けることです。うまく行けばよいですが、失敗すると悲劇です。

「東洋英和CLIL ReN」という教師の交流会をうまくスタートできてよかったです。今後も細々と続けていきたいと考えています。






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