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CLIL SAITAMA(旧名称)

Current Practices and Future Perspectives of Content and Language Integrated Learning (CLIL) in Japan

CLILは、次第に注目を集めています。本サイトは、笹島茂がかかわるCLILの実践やつぶやきを集めたものです。参考にしてください。

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2013年4月28日日曜日

国際教育研究所の話を終えて

4月27日(土)国際教育研究所の会で、CLILの話をさせていただいた。次回は、羽鳥博愛先生が、CLILの話をするそうだ。私はその前座として招かれたのだろう。今年度は、CLILの話がいくつか続くらいしい。たいへんうれしいことだ。特に、羽鳥先生がCLILに関心を持ってくれていることに感激した。「CLILの考えがもっと以前からあったらよかった」と話してくれた。次回の研究会は、私が主催する言語教師認知の研究会と重なり残念ながら参加できないが、きっと羽鳥先生の豊富な知見からCLILに関するよい話があると思う。興味のある方は、ぜひ羽鳥先生の話を聞いてほしい。


日時:2013年5月25日(土) 15:00~17:00
テーマ:「内容言語統合型学習(CLIL)による新しい発想の授業で英語教育改善の方向性を探る」
講師:羽鳥博愛(東京学芸大学名誉教授)
場所:財団法人日本英語検定協会B館1F会議室

さて、私の話だが、発表スライドのPDFは本ブログの資料のところからダウンロードできるので、興味がある人は見ていただきたい。

CLILの話ならばどこへでも行って話をしたいと思っているので、声をかけていただければどこへでも行き、話をしようと決めている。なぜかと言えば、英語や言語に対する教師の「思い込み」を変えるきっかけとしてほしいと思っているからだ。CLILにはそれがあると考える。

今回の話は、CLILの可能性と課題についてである。CLIL は次のような魅力があると話した。

教師も生徒もCLILはおもしろいと感じる
教師が好きな教え方を選べる(生徒に学び方を強制しない)
生徒が目標を見つけやすい
生徒の学習意欲を引き出す
生徒が学び方を考える
達成感がある

しかし、課題もある。

教師が考え方を転換できるか?
教師が英語を使うか?
カリキュラムを工夫できるか?
CLIL教員研修を導入できるか?
教科書はどうするか?
各科目の教師が英語で教えるか?
英語の教師が科目を教えるか?

CLILだけで、日本の言語教育が変わるわけがない。それにはそれなりの背景がある。それでも、CLILは何かこれまでとは違う可能性を秘めていると思う。

教師は、比較的頑固な人が多いような気がする。それだけ教育に熱心だからだろう。信念を持っているほうが教師としては信頼がおける。だから一歩間違うことも多少ある。体罰もその延長線上にあるような気もときどきする。もちろん体罰はいけないことだ。体罰もある環境にいるとそれも必要だという「思い込み」にとらわれてしまう。英語教育も似たようなことがあるかもしれない。

実際、教師は教え方を変えることはあまりしない。「英語は英語で教える」と学習指導要領に書かれて、たとえ、表面的に英語を授業で使うようになったとしても、基本的な「教え方」に関する考え方はあまり変わらない。言い方を換えれば、もし「教え方」をころころと変えられるとしたら、また問題でもある。大切なことは、自分の教え方について考えることで、工夫を加えることだろう。

CLILという指導法(methodology) に関しては、「なるほど」と思う人と、「?」と思う人がいるようだ。それは当然であるし、そうであってほしい。教え方は違って当然である。だから、CLILでは具体的にどのような教え方をするのかと問われることが多いが、私は自分のやり方を勧めないし、本に書いてあるやり方も勧めない。まず自分で考えることだ。

CLILに私が期待することは、学習者にとって望ましい「学び」の機会を教師は演出してほしいということだ。それがひょっとするとCLILとは言えないかもしれないが、そうでなくてもかまわない。CLIL的な考えがあることが大切だ。よく分からないからCLILを最初から排除するのではなく、CLIL的なアプローチを参考にすることはよいと思う。ただそれだけだ。

今日の話の中で、私は私のCLILフレームワークを示した。

何度か提示しているが、あまり反響はない。たぶん私だけが納得しているのだと思うが、私はそれでよいと思っている。これは私の「思い込み(assumptions)」だ。私はこれを普遍化する気もない。私の状況(context)がそれをよしとしている。そう考えると私の「教え方」には筋が通る。

CLILを実践することは、決してむずかしいことではないが、このようなフレームワークを持っていることが大切だと考えている。CLILの表面的な「教え方」だけを理解して、人のまねをして、CLILを演出しても、それは中身のないものとなってしまう危険性がある。たとえば、CLILでは、マインド・マッピングなどを生かして、協同で考えることが大切だとして、グループ活動をする、あるいは、チャートを使って物事を整理する、など。ともすると形だけの活動になってしまうかもしれない。それでは、CLILの本質から離れてしまうだろう。

授業は状況だ。そこで何が起こるか分からない。何が起こるか分からないから、「学び」がおもしろいのだ。

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