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CLIL SAITAMA(旧名称)

Current Practices and Future Perspectives of Content and Language Integrated Learning (CLIL) in Japan

CLILは、次第に注目を集めています。本サイトは、笹島茂がかかわるCLILの実践やつぶやきを集めたものです。参考にしてください。

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2012年9月20日木曜日

CLILの価値

英語の授業をみなさんはどうイメージするでしょうか?

小学校の外国語活動に携わる小学校の先生、児童英語教育指導者の先生、中学校の英語の先生、高校の英語の先生、ALT の先生、専門学校などの英語の先生、大学の英語の先生などなど、様々な人が英語を教えています。個々の違いはありますが、なんとなくそれぞれの授業に対してばくぜんとした授業イメージがありますが、そうでなくてはいけないという理由は明確ではありません。

しかし、公立の中学校などカリキュラムが比較的きっちりしています。授業研究が盛んであるためでしょう。小学校の外国語活動も授業が多く公開され、あるかたちに収束していく傾向があります。カリキュラムは教え方まで規定しているとは思えませんが、いつの間にかある授業パタンが多くなります。「真似る」ということでしょうか?しかし、これもそうしなければいけないという理由はありません。

指導法(メソッドあるいはアプローチ)についてはどうでしょうか?Communicative Language Teachingと言われる指導法はあまり明確ではありませんが、現在は主流と言ってよいでしょう。それに対して文法訳読法も実は主流のようです。さらには、多種多様な指導のあり方があるようです。私はどれでもその人にとって効果があれば、それでよいと考える立場を取っていますが、これらの指導法の違いにこだわる人も多いようです。しかし、学習者が英語を学ぶこと自体の目標はそれほど変わりません。学習指導要領に記載されている目標はごく当たり前のことです。教え方は本来自由ですが、忙しい仕事や教室環境や社会のニーズなどのことを考えると、ある指導のかたちに収束するのは仕方ありません。

バイリンガリズム、イマーションによる英語教育も根強いものがあります。歴史もあり、実績もあります。CLILがそれに取って代わるものではないことは事実です。やっていることは同じですが、問題は、教師の考え次第です。私自身は、これはイマーション、あれはCLILなどと分けることは意味がないと思っています。それは研究者のすることです。学習者はどう考え、どう「学ぶ」のかということが問題です。

その観点から、あえて違いを言うと:

「CLILは、英語母語話者でない教師が教える」

「イマーションは、バイリンガルの教師が教える」

ということが言えるようです。しかし、バイリンガルの教師がCLILを教えてはいけないということではありません。

つまり、CLILのほうが、「学び」を総合的に演出できる可能性があるということです。イマーションは、比較的高い言語能力を要求される傾向にあります。あるいは、高いニーズが要求されると言ってもよいでしょう。ですから、日本のように常に日本語が使われている環境では、イマーションはむずかしいと言えるでしょう。しかし、CLILは、そのような環境も意識して「学び」を演出すればよいわけです。日本語を使い、日本語が分かり、英語学習の苦労も分かる人が教えるほうが、「学び」を演出しやすいでしょう。

CLILでは、完璧(?)な英語を使える必要はありません。イマーションはそうである必要があります。数学や理科の先生が、英語を使って「学び」を演出することに意義があるのです。

この点は、うまく説明できないのですが、生徒からすると、英語の先生ではないふだん日本語で教科を教えている先生が、英語を使って、内容のあることを教えているということに、かなりの刺激を受けるようです。何度もこの場面を見ました。これは、英語の先生にとっては複雑かもしれません。あるいは、このことは英語の先生にはよく理解できないかもしれません。が、この刺激が大切だと思います。CLILはそれを「意識する」きっかけを与える可能性があります。

だらだらと書きましたが、CLILはやはり価値がある発想だとあらためて思います。しかし、多くの人の「CLILとバイリンガリズム、イマーション、内容重視の指導はどう違うのか?」の問いは重要です。

個人的には、その問いがなくなったときに、CLILは認められ、その価値を発揮するのでしょう。

再度くり返します。

CLIL は特別ではありません

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