CLILに関してみなさん誤解しているのではないか?
結論から先に述べましょう。
CLILに関しては様々な考え方があります。つまり、CLILは多様です。
私は、『CLILー新しい発想の授業』という本を共著で出しました。そこでは、CLILは指導法として紹介しています。一つの理念のもとにCLILを紹介しています。私自身はそれで授業を組み立てます。
しかし、CLILは多様です。本の中でも言及してありますが、バイリンガリズム、イマーション、内容重視の言語指導、などなど、すべてを包含しています。
「何をどうやって教えるんですか?」「指導の手順は?」「導入はどうやって、展開はどうするのでしょうか?」「評価は?」などなどの質問にはちょっと答えにくいというしかありません。
簡単に言えば、「いままでと同じでよろしいのではないでしょうか」と答えます。つまり、いままでのカリキュラムにそった指導の延長にあってよいのではないかと思います。
一つ言えることは、そこに科目内容の観点を入れることでしょう。
CLILは何も特別で魔法のような指導ではありません。しかし、いままでにない「学び」を提示してくれます。おそらく、それは教師が考え方を変えることに意味があります。上記のような疑問を持たなくなったときに、CLILは根付くと思っています。
いままでの英語教師としての観点から、自分の指導に自信があり、よい「学び」を提供できている教師には、CLILは必要ないでしょう。悩んでいる教師には、CLILは何かをもたらしてくれるはずです。
CLILを指導する際に、学習者のレベルにこだわる人がいます。英語指導であれば英語ができなければCLILはできないという固定観念がありますが、はたしてそうでしょうか?そう考えたときに、すでにCLILの発想ではないように、個人的には思います。
本の中でも紹介しましたが、小学校でのCLILは、目標言語ができなくてもかまいません。その範囲内で「学び」は可能です。私たちが、知らない言語、外国語を学ぶ場合、本当に、基礎から、発音、文字、文法、語彙などを学んでいく必要があるでしょうか?
ことばを学ぶ場合は、まず動機と必要性が大切だと思います。知らないことばでも状況を頼りにある程度のことは推測できます。それではもちろん限界があるし、効率はよくありません。しかし、そのようなよく分からない状況でもコミュニケーションが取れたときは嬉しいものです。ことばができなくても人はある程度コミュニケーションができます。
また、何かを知りたいと思う動機や必要性は、おそらくどんな人にも「学び」の意欲を引き出すと考えます。CLILのヒントはそこにあると思います。
動機も意欲もない人に「学び」を強制しても無駄でしょう。教師はそこまで考える必要はないと思います。しかし、動機や意欲を引き出すための方策は考えるべきです。
それが、CLILではないかと勝手に思っています。
CLILには可能性があります。ぜひ始めてみてください。
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